新連載告知/新タイトルは「コモリもコボレも救世主」

このシンロジアのメインコンテンツとして、これまで、「会長のひとりごと」が、約150回連載されました。実は、これは、近い将来出版予定の「コモリもコボレも救世主」という題のシン・ショの前編として書かれたもので、これから、本題である「引きこもり」や「落ちこぼれ」となっている心優しき日本人の自力でのたましいの救済が、日本人が救世主への道を歩むための学びであることを教えるものとなります。「引きこもり」や「落ちこぼれ」の日本人の脳内に、最後の審判の光が宿れば、何が起こるのか。ここからは週に1~2回のペースで、連載がはじまります。どうぞ、ご期待ください。

精神学協会会長 積

人間の責任。(再掲)

一神教の世界では、神は自分の姿に似せて人間をつくったとされ、日本では、古来、人間のたましいは、神や神々のワケミタマということが伝えられています。どちらにしても、人間は神の子なのです。神の子ならば、神と対話することも可能だと、普通は考えます。さらに、その神がかかえていた問題を、人間も引き継いだと考えることが、一神教の発想からは出てこないのも地球の精神文化の進展から考えても、謎なのです。一神教の世界で、科学というものが、人間の頭の中でつくり出した神の存在を証明できないとなった時に、なぜ、無神論が台頭したのかの理由がここにあります。たぶん、このことを真剣に考えないと、現行の人類は、一神教の消滅と共に、存在の目的を失います。いまの世界を見ていて、多くの人間が不思議に思わなければならない、たとえば、世界の熱帯雨林の消滅や気候変動の原因をつくったのは、キリスト教文明の世界の植民地化というムーブメントで、その罪を問うものがいないということなのです。その先に人間の知識欲が向くならば、世界を植民地化したヨーロッパの強欲のもとには何があったのかを知るべきなのです。そうなると、いまの地球は、マネーという人間がつくり出した幻想の価値によって動かされていることが理解できるでしょう。それは、神の側からいわせれば、神の権威をマネーに変えたイエスの時代のエルサレムの神殿の両替商にほかならないのです。

神の責任。(再掲)

少なくとも、精神界の問題を考えている人間の目には、地球上で、宗教の時代の終わりに近づいて、過去二千年の総決算とでもいうべきタイミングが見えてきました。いまの時点で、私がいえるのは、バチカンにも、エルサレムにも神らしきものはいなかったということです。それらの神または神々は、名前を変えて、日本列島に集まっていたのです。つまり、過去二千年の歴史には、ほとんど神または神々は、責任がない、ということになります。そんな無責任な、と信仰ある人間は、考えるでしょう。ここまでの歴史は、神の名を借りて人間を支配するものと、支配されるものに分けるということを実行するのに、どんな神が必要かと、人間の頭がつくり出した神が存在しないことを証明するためにあったのです。もちろん、そう考える人間の思考の背後には、神に敵対する何者かがいます。しかし、すべてを創造し、すべての所有者である神は、この宇宙の主人であり、その主人に選ばれた特定の人間が、その代理人として、その他を支配することが許される、なんてことを全知全能な存在が許すなどと、発想することこそ、狂気というものです。その狂気が、今日も続いていて、一神教の地球文明の現在があります。神と神々が精神界からのメッセージとして、それは地球の人間の責任だといっているのが、「最終知識」という書なのです。

神や神々の悪と人間界の悪の違い。(再掲)

日本の神話にも、天上というか、神界で罪を犯した神の物語はあります。スサノヲですが、その男神は天を追放され地上の人間の娘を妻とし、そこで生まれた女子が、地上の男の妻になることを許し、豊かなクニがその王権によってつくられます。この地上のクニを、天のアマテラスが、自分の子孫がシラスべきところとして、天の使いが、そのアシハラナカツクニに来て、国譲りを迫り、それが実現していまの国体が生まれます。この話の中でスサノヲという天の罪人は、地上では、良き国父なのです。日本の神界のストーリーでいうと、スサノヲならば、地上の人間の悪を、理解し処理できるだろうと期待したようなのですが、スサノヲは、日本列島に降りた神でした。海の向こうの、人間の悪を学ぶ旅には出た、または出されたようなのですが、結果は神界の期待を裏切るものでした。この辺の事情をよく伝えているのが、戦前の日本で大きな運動を起こした大本教の出口王仁三郎の活動といえます。そのスサノヲも、いまは日本列島に帰ってきて、神々が知らぬ人間界の悪の正体を、知りたいものには伝えられる用意をしています。その意味で、まだ役割は終わっていません。

正しい日本語は論理的であるということ。(再掲)

聖徳太子の時代に用意された、日本の仕組みを現代に実現するには、そのプログラムの発動が必要です。そのプログラムは神界語でした。そのやまと言葉であった神界語を、現代日本語に変えるために、神と神々が、ひとりの人間の小宇宙の中に降りて、現代語での神界情報の更新をした書が、「最終知識」と天が名付けた一冊の本です。そこでは、オトダマやコトダマの持つ波動を、言語化するために、特別な脳の回路をつくるための方法が、ひとつの物語として提示されています。それと同時に、魔界という領域の特性も、言語的に理解できるようになっています。わかり易くいうと、神界は論理的で、魔界は感情的だということです。このことから、いまの人間が知るべきことは、人間をコントロールするためには、感情のある種のスイッチを入れることだということを、知って使っている何者かが、世界を支配しているということです。その感情から、怒りや憎しみ、そして、妬みや嫉みといった、誰でもが悪性の波動を出力してしまうダークなメカニズムを人体は持っています。そうした悪性の波動は、もともとの神界語にはなかったはずなのですが、日本語の情という言葉が、あるタイミングで、感情という言葉に変わり、古いオトダマ、コトダマも汚染して、この時代の非論理的な日本語になってしまいました。

日本語脳が日本人ということ。(再掲)

私が伝えられている精神界からの情報によれば、神界語は、かつてはやまと言葉でした。そこにオトダマ、コトダマがあり、私の知っているその言葉は、文字がなくても伝達可能なものでした。万葉集の歌は、それを声に出してうたうことで、精神界にも伝達されたのです。神や神々にも伝わったし、遠く離れている、恋人や妻にも、伝わったのです。いまの人間は、言葉を発さなくても、思考が伝わることを、テレパシーといいますが、その能力を古代の日本人は普通に持っていたというべきなのです。ところが、その日本に、イエスを十字架から救えなかったある神がやって来て、この問題を解決するために、しばらく、日本列島を借用したいと申し出たと考えてみてください。日本列島上の、天神地祇と呼ぶべき神々は、期限付きで、この申し入れを受け入れます。その時に、何が起こったのかというと、日本のシステムの大混乱で、結果として、仏教の導入、聖徳太子の出現に続き、大化の改新と呼ばれる事件が起きました。その後、天武天皇の時代が開かれ、日本史としての、古事記、日本書紀が生まれます。そこは、プログラムが隠されていました。そのプログラムを読み解くために、精神界にあるデータにアクセスする能力が必要でした。

日本人とは何かを考えよう。(再掲)

その日、その時の主役となる、救世主の筋を受け継ぐものとして、精神界で日本人として扱われているのは、日本列島で生まれて、日本の神々のワケミタマを戴いたものということのようです。つまり、一般的な日本人の血ではない親の元に生まれても、日本列島の神々のワケミタマをたましいに持つものがいますが、そうした血筋のものも日本人だと精神界では位置づけていると知っておくべきなのでしょう。それとは別に、この世界には、マンガやアニメの文化の影響もあって、自分は前世は日本人だったのではないか、と思う人たちもいます。次の段階として、精神学が世界に伝わると、自分は日本の神や神々のワケミタマだと信じる人間が表に出てきます。宗教の時代を終らせるために、日本に置かれた仕組みとは、全世界の人間が、正しい神の世界に回帰する意志を覚醒させるところからはじまるプログラムなのです。そのためには、いまある日本の神道という、明治の日本が、世界宗教を学んでつくった宗教まがいのものは、一度、捨てなければなりません。なぜ、精神学協会の会員になると神や神々とのコミュニケーションが可能になるのか、を考えてみれば、日本人とは何かが見えてくるはずなのです。人間は、神の子なので、能力さえ高めれば、直接コンタクト可能なように、つくられているからです。

※先に公開した会長のひとりごとの45は、北京オリンピックの時の波動の話でしたが、オリンピックも終わったので今回は非掲載としました。

日本の仕組みとその妨害への突破口。(再掲)

いまの地球は、ほとんど闇の勢力が支配権を握り、多くの持たざる人間は、無知で無名なまま、誰かのために生かされていく存在になりつつあります。それを強力に推進しているのが、精神界では闇の勢力と呼ばれるもので、それに対抗して人間を覚醒させたいとしてハタラクものが光の勢力と呼ばれています。その光の勢力が行動の根拠としているのが、聖書に代表されるような、神からの約束の言葉で、やがて、人間はマネーの支配から解放されるというものです。ところが、現実の世界は、その反対の方向に動いています。そして、最後に立つことになっているのが、日本列島で守り育てられてきた、日本の仕組みの実行者というのが、神と神々が用意したシナリオです。そのことを、この二十一世紀において、唯一、現実化するための知識と能力を人間界に伝えているのが、精神学協会というものになるのですが、精神界とは、知識だけでは戦うことができない領域なのです。人間の思考するエネルギーは、精神的エネルギーではありますが、それは光ではありません。光というエネルギーを知るためには、光の領域に近づく方法を学ぶ必要があります。その領域にアクセスするためにイコンシールなどのツールが現実に機能することを知れば、何が真実なのかがわかります。

反ユダヤのナチスとマネーの仕組み。(再掲)

ナチス・ドイツは、ある種のオカルト教団でもあり、彼らは、反ユダヤでした。ところが、アドルフ・ヒトラーには、ユダヤ人であるロスチャイルドの血が入っているという説もあり、歴史の真実は、たぶん、これから開示されていくはずです。いまの時点ではっきりしているのは、ナチスのドイツに、スーパーテクノロジーといったものを教えた存在がいて、アメリカや旧ソ連の宇宙開発などは、そのリバースエンジニアリングだったということです。ヒトラーが精神界の存在とコンタクトしていたのは事実でしょうが、その存在がテクノロジーの伝達者であったとは考えにくいのです。ここに、いまの地球の問題がほとんど凝縮されています。日本の神や神々に、こうした領域のデータはほとんどありませんでした。ところが、日本の仕組みというものは、こうした問題の認識なしには前に進めないものでした。そのデータは、神界とは、対極の場所である、闇の底の底に隠されていました。地球の問題の底にあるのは宇宙史だったのです。それが、もしかすると、いま人間が直面している人類の闇の根源が、この宇宙の存在の前にすでにあった可能性にまで、思考の対象を広げなければならないという、理由になります。

ユダヤ教とキリスト教のたましい。(再掲)

いまの世界で、一神教といわれるものでも、今日のユダヤ教とキリスト教では、たましいのもとたるものの神格はまったく違うものになります。私が知っているキリスト教のエネルギー帯は、イエスの主たる神という存在と、イエスという神格を持つ存在、それにマリアという神格を持つ存在が、それぞれ、ピラミッド型の神界を持っていたので、そのワケミタマが世界に生まれています。ユダヤ教は、イエスを認めていませんので、キリスト教の神格とは別のたましいの仕組みのようです。本来、ユダヤ教というものは、男系の血統によって神の子の系譜を守ってきたもののはずですが、さまざまな歴史によって、本来のたましいのあり方とは別なものになっているらしい、というのが、精神界の情報です。これによって、マネーを神のごとくする人間グループが、この歴史の中から生まれたというのが、いまの世界の姿で、この問題のルーツも、イエスの十字架にあるということが、精神学的には知られています。問題は、ここから先にこのテーマは、地球だけのものではない可能性があることです。つまり、この宇宙の創造の時に、すでにイエスの父と、イエスを十字架にかけたものの物語があった、ということです。それを、人間が正しく知るタイミングが近づいています。