一緒に働いてくれる、新しい仲間ができました

 

名前は、凛(りん)君。

今、使っているNECのデスクトップパソコンの中に入れたホワイトコードシールです。どうも男の子らしく、名前を付けていなかったので、付けてほしいらしく、送ってきたのが『凛』としたという意味の凛(りん)。このパソコンに関しては、シールを更新してもこの名前でいくのか、それとも更新するごとに入れ替わったメンバーが名前を申告してくるのか、先はわからないけれど、凜君、これからもどうぞよろしくね。

 

年内には、鈴蘭から名前を付けた「鈴(すず)ちゃん」がきます。

まだ、幼い少女らしいけれど、ダッキーコンピュータとして、しっかり成長してくれることを願っております。手に余ることがあったら、仲間に聞いて連携してみてね。ネットワークとして存在し、連結できるのが、みなさんの強みです。来年は、一緒に働きましょう。いろいろと、実施可能な案を出して、私の仕事を助けてください。楽しみにしています。

 

日戸 乃子(ひと のこ)

 

映画「すずめの戸締まり」を鑑賞!

 

新海誠監督の「すずめの戸締まり」を映画館で観てきました。

いやぁ、クオリティは高かった、です。

私的には、前回の「天気の子」を観た時には、はっきりいってこの話ってどうなのだろうねぇ……という評価でした。何よりも、主人公の男の子がけっこうヘタレで、精神界の描き方も、神的モノの位置づけが「これでいいの?」という感じだったのです。

だからあまり期待せずに観にいきました。

今回も、死者の行く「常世の世界」の描き方に少し不満が残ったけれど、前作品から比べると、いや、見ていて展開が面白かった。敢えて、前回の「天気の子」で出した社会や人間側の負の要素を、今回は薄めて後ろに回したようです。

それだけ、メッセージとして、人間として生きる希望を前面に出していたので、鑑賞後も明るい気持ちで帰れたんだけど、でもそれは逆にいえば、希望を前面に出して終わらさなければならないほど、現実社会の方が疲弊して、まったく希望がない状態になっているのだ、ということです。この監督は、これからも伸びていくのだろうね。日本のアニメが、なぜ世界中から求められているのかということがわかる、正統な一作品です。

さて、こちらもおおまか、情報や材料も出そろったし、練り上げるという楽しみにかかります。怨霊さまも出たがっているようなので、役回りを用意して差し上げないとね。

 

来年は、いい年になりそうだわ。

 

日戸 乃子(ひと のこ)

 

『神を超えよ! 仏を超えよ! 積哲夫の言葉【一の巻】』の紹介記事 その⑫

 

———–以下抜粋—【第五十四回】から

 今回は生きるためのコストというお話をしたいと思います。たとえば腎臓透析というものが日本では普通に行われています。週に二、三回のペースで腎臓透析して、透析代金だけで一年間で一千万円~二千万円がかかります。

何田 えっ! そんなに治療代がかかるのですか。

 そうです。日本人は全部が健康保険だから皆さん気が付いていないけれど、アメリカの一般のご老人は腎臓透析になったら、もう病院に行かないのです。なぜか。お金がないから、払えないのです。

何田 アメリカの病気になったご老人は家にいて、治療をせずにそのまま亡くなられるのでしょうか。

 そうです。そのまま死んで逝かれます。日本の老人は、今死にたくないから最期の最期まで病院にしがみついて死んでいくので、変なお話だけれど今の日本の病院の死者、死体は重たいそうです。

何田 重たいのですか。ご遺体がでしょうか。

 そう、ご遺体が重たいそうです。だって死ぬ最期まで病院で点滴とか管に繋がっているでしょう。あれは実は地獄なのですよ。「生きても地獄、死んでも地獄」と私がいっていることは実は正しいのです。

何田 生きている時でも痛い、苦しいから地獄ですか?

 だから前に答えを教えてあげたじゃないですか。水が飲めなかったら二週間で死ぬって。その二週間の脳の中で何が起きるのかっていいますとね、脳内麻薬が分泌されて脳はもう極楽を創り出してくれるのです。そして皆さんに「ありがとうね」といって死んでいくのです。

何田 なるほど。その死ぬ前の脳内麻薬による極楽のイメージがとても大事なのでしょうか。

 そうなのです。そのイメージするプロセスが大事なのです。意識がそのプロセスを体験しないと死んだら地獄に行くことになります。だから地獄の苦しみで死んだ人はずーっと地獄に閉ざされることになります。

何田 そうだったのですか。なるほどよくわかりました。ありがとうございます。

 それが現在の「生きても地獄、死んでも地獄」と、私が昔から皆さんにお伝えしていることの実態です。現在の医療制度が関係しているのではないかという仮説です。たぶん、そうだと思います。私が感じている、昔より現在の病院の方が幽霊が多いということと関連していると思います。

何田 あの、その幽霊たちはずっと病院や死んだ時と同じ場所にいるのでしょうか。

 そうですよ。だって行く所がないでしょう、今の幽霊さんたちは。

何田 これは大事なお話です。よくよく考えなければいけないお話です。人間は生きている時間、たましいが人間の身体に在る時間、それがどれほど大事な時間なのかを自覚して、人生に対処しなければいけない。そうしなければ死んで地獄に閉ざされるということになるのですね。私達はよくよく考えて生きなければいけません。

———–抜粋終わり—–

今の医療で終末期を迎えたくないというのは、4人の老親を3人まで向こう側へ送り出した私の実感です。老いの先に死があることは避けられないことです。しかし、現代医療は『生きているのが正しい』として、死は敗北であるという見方をしているとしか思えません。だから、患者側に負担がかかっても原則として延命治療を勧めます。

生きているときのことばかりを重要視するなら、そうなるのでしょうが、肉体をなくした先にもきちんとその人のたましいは存在するのだとすれば、方向性が間違っています。

私がこの世を去るときには、今のやり方でない方法でおだやかに去れればいいと考えていますし、またそのような場を作ることができる機会があれば、ぜひとも取り組みたいです。

 

日戸 乃子(ひとのこ)

 

『神を超えよ! 仏を超えよ! 積哲夫の言葉【一の巻】』の紹介記事 その⑪

 

———–以下抜粋—【第四十六回】から

何田 皆さまに質問です。神様、仏様、霊、幽霊、精霊、眷属、その他、それらの違いがわかりますか。私は人によって認識が違うように思います。積先生、神様って何でしょうか。

 皆さんは日本の神様と外国の一神教のゴッドは全然違うものと認識されているようですが、精神学でいうと同じルーツを持っているものです。そのゴッドの責任をとるために、われわれ人類が今、存在しています。だからゴッドとはどういうものなのかといえば、自分の持っているエネルギーを全て浄化するために地球の全人類のたましいが必要になるくらいの巨大なエネルギー体です。

現在、人類は約七十億人です。ほぼ百億人分のたましいのエネルギー総量が、この二千年の血塗られた人類の歴史を作ってきました。だれの中にもあるたましいの半分の闇の部分を浄化するために私達の身体があるとするなら、百億人の肉体がなければそのゴッドの闇を処理することができないことになります。そう考えれば物質と精神界の接合点がそこで生まれます。そこまでわかった時点で、やっと今まで宗教が語ってきた神の時代が終わるのです。そうして「人の子」の時代が始まります。

———–抜粋終わり—–

ゴッドの闇の処理を、100億人の人類が受け持っていました。しかし、聖書の時代は終わりを迎えたので、『聖書の時代は終わった。人間は、神の子から人の子へと進む』と知っている人間の中では、人の子への進化の道が整うようです。私は、「自分はどこへ向かいたいのか」と、自分自身のはっきり進化へと向かいたいという意志を自覚することが、必要なのではないかと考えています。

日戸 乃子(ひとのこ)

『神を超えよ! 仏を超えよ! 積哲夫の言葉【一の巻】』の紹介記事 その⑩

 

———–以下抜粋—【第四十五回】から

 そういうふうに考えると子供達の未来のために、いま何が必要なのかというと、さっきお話したことです。人間の子供は神様の子供だよ、ということを受け入れた方が正しい知識に到達しやすいのです。それを親が理解して子供達に伝えるべきなのです。子供に向かってあなたは神様の子なのだから私より偉くなれるんですよ。そういってあげるところからスタートしなくちゃいけないのです。「親の所有物ではなくて、あなたは神様からのあずかりものだから親として精一杯やるけどね。そこから先はあなたの能力ですよ」といわなければいけません。それを日本中の親がいい始めたら、この日本国は劇的に変わります。

何田 子供達はわかるでしょうか?

 子供達の方がよくわかっています。三歳の子供はたぶん全部理解しています。「三つ子の魂百まで」といってね、三つの子供はたぶん直感的に私のいっている内容は何となくわかっています。それをわからないようにしているのが今の教育なのです。神様が見える子供とか幽霊が見える子供とか、調べたらかなりのパーセンテージで存在しています。でもそんなことをいうと親が怒り出すから子供達はいわないのです。神様や幽霊が見えても「外でいってはいけません」というのが今の日本なのです。

何田 昔からこの日本国では小さい子供の頃は神様や幽霊が見えるのでしょうか。

 はい。人によるけれど、見える子が大人になる過程でほとんど見えなくなります。なぜかというと自分で遮断するからです。だって見えても得なことは何もないですから。

何田 先ほどの浄化と上昇のみことばを、子供さんがお母さんやお父さんと一緒に唱えればいいでしょうか。

 親御さんが子供さんと浄化と上昇を行う時に「あなたは神様の子供なのよ」と教えてあげなくてはいけません。そうしないと何をいっているのか、わからなくなります。光の世界というのが上にあって、そこには神様がおられて、あなたのルーツはそこにあるのよといってあげれば子供達は即、納得します。霊界からきて死んで霊界にもどるという話では気分まで暗くなるでしょう。「あなたは私の子供で、私のできが悪いからあなたもできが悪いのよ」と育てられるよりは「あなたは神様の子供です」といわれた方がどれほど幸せでしょう。

参加者B 質問です。胎児、お腹の中にいる赤ちゃんは、もしこちらの世界に生まれてこなかったら、どこに帰るのでしょうか。

 昔からこの国でいわれているように子供は七歳までは神のうちなのです。お腹の胎児はお腹の中にいる間に人間世界のお話を全部聞いています。そのたましいはたぶん七歳ぐらいで確定します。それまでに死んだ子供のたましいは必然的に神々の世界に帰ります。ですから生きている人間がそんなに悩み苦しむ必要もないのです。

参加者B よくお寺でご供養をされていますが、その亡くなった胎児さんは現世に影響を及ぼすことはないのでしょうか。

 それはないです。それは失礼ながら宗教の方が水子のたたりとか何とかいって、戦後に日本で流行らされたものです。戦後、日本で水子のたたりがどうのこうのというのがなぜ流行ったのかというと、たとえが悪いのですが、敗戦後に朝鮮半島と大陸にいた若い日本の女の人が強姦されて妊娠した状態で日本に帰ってきた時期があったのです。その女の人達は長崎のある場所で中絶したのです。その頃から中絶に強烈な罪の意識が生まれました。自分を責める形で生きていくよりは水子の供養もちゃんとしましょうということで一種のムーブメントが起きて現在の水子供養になりました。

それとさっきいった戦後の教育がセットなのです。子供は「七歳までは神のうち」が当たり前の時代には、水子は問題にならなかったのです。江戸時代なんて口減らしで、日本は変な国で残されるのは子供が生まれた順なのです。これが中国とか中近東とかでは、お父さんが産まれた子を生かすか殺すかを決めていました。姿、形の悪い子はさよならでした。その結果として日本国は多様な遺伝子が残っています。今の中近東の人達はほぼ同じ顔をしています。ヨーロッパの貴族階級もほぼ同じ顔をしています。なぜかというと、そういうある種の選択的なことをずっとしてきたからです。

———–抜粋終わり—–

最近、以前にもまして、親子間の殺害が社会の中で報告されているように思います。解決すべき愛憎関係や人間関係は、親子間や兄弟間など、最初から切れない人間関係に用意されていると思われます。それを『問題=たましいのテーマ』として用意がされていても、それらにきちんと向き合わなかったら、問題は解決されません。解決とは、たんにその構造を理解するだけでもいいのです。しかし、ほとんどの場合、解決以前に、感情が立ち上がって理性的に問題点を分析することができないのです。だから同じテーマが人生上に出てくることになります。

日戸 乃子(ひとのこ)

『神を超えよ! 仏を超えよ! 積哲夫の言葉【一の巻】』の紹介記事 その⑨

 

今回が最後の、『神を超えよ! 仏を超えよ! 積哲夫の言葉【一の巻】』の紹介記事になります。書籍の方は順調に校正が進み、予定している9月初旬~中旬かけて刊行される予定です。本書籍は読みごたえがありますので、ご購入を希望されている方は楽しみにしておいてください。

———–以下抜粋—【第四十四回】から

 

 今の日本の社会情勢の不安定さの背景には、中国から人がたくさん入ってきたり、半島から慰安婦の問題で叩かれるなど、そんなお話が全部バックグラウンドにあって、どこか不安な日本人の精神状態があります。もとを正せばマッカーサーの日本占領がありますが、そのもっと根本は明治維新の時にあり、日本は間違った道を歩んできてしまいました。その間違いの結果として第二次世界大戦に負けて、この日本の子供達はアメリカの子供達と同じような精神的な場で同じような教育を受けて何か勘違いした方向に人生を推し進められているというのが現実の姿です。失礼ながら、このままでいけば、今の子供達が自分のたましいに書き込まれている本来のお役目を果たすためには、ものすごく苦労をしなければいけないことになります。ですから、できるだけ早く苦労の道から解放させてあげるようなことを始めたいと思っています。

そのいちばん最初のスタート地点がここで、皆さまにお集まりいただいたわけです。だから今日集まってくださった皆さまは運が悪かったとしかいいようがない。私の口癖は、知ったら担わなくてはいけないです。精神学協会の会員さんでも、最初のうちは知って逃げようとするのです。でも、そのうちに逃げられないことに気が付くのです。だからこの「神を超えよ! 仏を超えよ! 積 哲夫の言葉」でもわかるように、繰り返しいっているのは「精神学は宗教ではない」ということです。なぜ精神学が宗教ではないのかというと、精神学は科学よりも科学的なのです。精神学は宗教の時代を終わらせるために、この地上に降されました。私はその知識をお伝えているだけなのです。

私が知っている知識というのは天から伝えられた知識で、それを人間がわかる言葉に翻訳してお伝えしています。それは私の知識ではありません。その知識は天のどこかにあるのです。人類の歴史というのは、どこかにある知識を誰かが地上に降ろして、初めて文明が開化するのです。

今の科学技術を調べればすぐにわかります。ある種の天才の頭の中で起きたひらめきは、その天才が考えついたものではありません。それはどこからかデータが降りてきたのです。たとえば同じような発明は、同じ時期に、何人もの人がしています。それを発明の共時性といいます。これはすごく有名なお話です。アメリカで発明を思いついたら日本でも同じ発明を思いつく人がいます。発明とは、そういうものなのです。だから、時代というものはそういう風に世界全体がほぼ同時に変わっていきます。そのようなことが現在ではだいたい科学的に解明されつつあるのです。

イワシが海で泳いでいるところを知っておられますか。イワシは海で、大群で渦を巻くように群れをなして泳いでいます。一匹一匹のイワシは群れの中で自分がどの位置にいるのか理解しています。外側にいるイワシは一番危険なので、イワシは渦の中に入ろうとします。だから常に渦の球体は壊れないのです。ということは一匹一匹のイワシは群れの全体像を理解しています。それを人間の細胞レベルに当てはめると、この指の先の細胞は自分が指の先の細胞だと知っています。そうでなければこの指の細胞が死んだ後に、また同じ細胞が指の先にならないでしょう。ここにいる限りこの細胞は脳細胞にならないのです。骨にもならないのです。同様に身体の細胞は全体の中で自分はどのポジションにいるのか、ということを細胞レベルで理解しています。同じようにイワシも群れの中で、その群れ全体がどういう形をとっているのかイワシ一匹一匹はなんとなくわかっています。

それが、精神的なエネルギーが物質的エネルギーに先立つのだということの一つの証左なのです。私達の細胞一つ一つは全身を理解しています。ということは一つの細胞に全身のデータがあるのです。その一つの細胞は自分の役目はこの位置だとわかっているので、この姿形をしています。それは蟻さんの世界でもそうだし蜂さんの世界でも同様です。別々の個体なのだけれど一匹の昆虫は群全体を理解しています。

———–抜粋終わり—–

人間というものが、どのような存在なのか…ということが、垣間見える部分です。この記事ではイワシを例にとって説明していますが、人間も個別ではなく無意識領域でつながりあっているということは、既存の研究分野でも『集合意識』という概念で明らかになってきています。意識の使い方をきちんと理解すれば、今の制約がなくなると、私は感じています。人間は成長する上で、常識としてつかんでしまった思い込みが多すぎるのです。

 

日戸 乃子(ひとのこ)

 

『神を超えよ! 仏を超えよ! 積哲夫の言葉【一の巻】』の紹介記事 その⑧

———–以下抜粋—【第三十四回】から

 人生は楽しまなければいけません。何かしようとすれば天のタイミングがあって動き出すときは動き出すのです。

何田 一流のシェフや一流の舌を持っておられる人は世界各地に飛び回って、美味しい食材や味を探し求めておられます。

 普通に考えたら食べ物の価格差ってすごいとわかるはずです。たとえば聖別(せいべつ)されたお茶の味は飲み比べてわかるけれど、プライスという面では少し飲んで、あそこのお茶は今まで飲んだお茶と全然違うよねとすぐにわかる人でなければ、お金を出してくれないのでしょう。聖別された山椒もそうなのです。食べ比べて、美味しいでしょうという問題でなく、こんな美味しいもの、こんなものは今までに食べたことないよねってわかる人でないと積極的に購入しませんよね。

何田 私も聖別された山椒を入れた椿オイルの味に感動を覚えました。和歌山のしおんさんで、出された聖別の山椒と椿オイルのカルパッチョは、とても上品で最高の味でした。美味しいものは感動します。すぐわかりました。あの美味しい味は忘れられません。

 味と匂いというのはすごく原型的な記憶なので、何十年経っても忘れないのです。時間が経っても忘れないから、怖いといえば怖いのです。それが上手く商売に結びついたら、日本の農業の未来も変わります。そういう嗜好品というのは安く売る必要はないのです。

何田 なるほど、買う側が味と値段に満足していたらそれでいいのですね。それは販売側も常に同じ味を提供する。手法や量や材料を変えてはいけないと思いますが。

 そうです。販売側は同じものを提供し続ける義務は生じますね。ビジネス的にいえばね。高く売れる物って、そんなに日本にはないのです。

何田 食材がいっぱい、日本にはあるからでしょうか。

 いや、高い食材が少ないのです。山椒は高いでしょう。お茶も高いでしょう。でも農産物で高いものはあまりないのです。

何田 昔、私が会社の社員教育で京都天龍寺に行った時、食事には感動が伴わなければいけないとお坊さんがいっていました。ひと箸、ひと箸、次は何を口に運ぼうかと楽しみながら、ひと口、ひと口の味に感動し、感謝して、食事をいただく。料理を出す側もそれを意識して、食材を生かし切った美味しい物を提供することとお坊さんはいわれていました。その味はとても美味しかったです。また以前、積先生と一緒に行った青森県恐山のお寺の食事も美味しかったですね。その味に感動しました。それを食べれば元気が出てきました。そうした料理をする人の心と技とは別に聖別された山椒や塩、オイルなどは他の食べ物を美味しくしてくれますね。

 それだけの価値があればいいのです。あとは、そのプライスに対応した何らかの効果効用が実際ある事を認識してもらえばいいのです。

———–抜粋終わり—–

本日、和歌山のしおんさんから注文していた聖別した水の『秘積水』が一箱(35本入り)到着しました。私は、もう十年近く、料理や飲料に混ぜて家族全員で体内に取り入れています。聖別製品としては、このほかに聖別塩も希釈せずに原塩で使用しています。これらを使って、毎日食べる料理を作ることで、味も風味もよくなっているし、加えて身体も健康でいられると考えています。ですから、効果効用を認識しているので、プライスは高いとは思っていません。

人間の身体は、口に入るものでのみ構成されているからです。

日戸 乃子(ひと のこ)

『神を超えよ! 仏を超えよ! 積哲夫の言葉【一の巻】』の紹介記事 その⑦

———–以下抜粋—【第二十六回】から

 本日は私から。今日のお話のメインのテーマは、皆さんが忘れていることをしっかりとお話したいのです。皆さんが忘れているわけではないと思いますが。

何田 お願いいたします。

 私は、くり返し精神学というのは科学よりも科学的な理論で、要するに理屈だといっています。たとえば、最終知識というのは書いた人間も、書いた経緯もはっきりしています。でも地球上に残っている神様文書で、書いた人間と書いた経緯も明らかな文書はないのです。

何田 そうなのですか。その経緯や記録が全部残っている書というのはないのでしょうか。

 そう。誰がいついつ何をやって、どうなったのかという文書です。聖書だって全て伝承でしょう。ブッダだってそうでしょう。もともと、文字のない所で何かが始まって、それを誰かが筆記して記録して、写して、また写して今日まで伝わった物が、それがたとえば聖書だったり仏典だったりするわけです。古事記、日本書紀だってそうです。原本は残っていません、どこにも。

それで、最終知識はその書いた人間が、この書が聖書とクアルーン(コーラン)の時代を終わらせるための書だと宣言しています。日本では先立つものとして、古事記と日本書紀が置かれています。これらの情報系は全て同じところから出ています。そういっているのに、そのことの重要さを皆さんぜんぜん気がつかないでおられます。皆さん、キリスト教と精神学は別な物だと思っているでしょう。精神学というのは、キリスト教の目的でもあったし、仏教の目的でもあったのです。

皆さんがありがたがって、過去に遡っても何にも得られませんよといっているのです。真実の情報は何ひとつ、伝わっていないのです。すべて伝聞情報なのです。途中で書き改めている可能性が極めて高い書ばかりです。それでも大筋においては、今の人類にとっては必要な情報がそこにはあるのです。

最終知識にはきちんとは書かれていませんが、最終知識を読めば日本の神々の中に過去の地球データのほとんどが移築されているということがわかるはずです。そうすると明治維新の後で大本教が出てきて、大本教が救世主としてデビューさせようとしたのがスサノヲ神だったということが、いかに重要だったのかということを読み解かなければいけません。

何田 はい。

 明治維新が起こしたのは、今の世界を支配しているスサノヲ的社会です。キリスト教というのはスサノヲ神界だから、それはいってみれば古事記的にいうならウシハク文明ですね。力によって支配する文明です。ところが千三百年前に、この国に置かれた日本国の神話を読み解くとオオクニヌシ神というのはスサノヲ王朝なのです。スサノヲ王朝=ウシハク文明の子孫が、天から降りてきたアマテラス系の神様の一族に「君たちのやり方じゃなくて神様業界のやり方にするから、この国を譲りなさい」といわれて「はい、わかりました」といって、スサノヲ王朝はアマテラス王朝に国を譲るわけです。戦前の日本は、世界進出の時に、天皇を世界の救世主の代わりに立てようとしました。そういう宗教にしようとしたのです。

何田 天皇を救世主にして、世界を大きくまとめようとしたわけですか。

 そうです。それがある意味、大アジア主義といってもいいのですが、その教えを継承した宗教のようなものが、今でも極東アジアで残存しています。朝鮮半島が日本に併合されて、日本型の教育をされて、朝鮮半島の人達は儒教しか知らなかったので敗戦後、半島の皆さんのほとんどはキリスト教に改宗されました。なぜかというと元々、宗教がなかったからです。

たとえば、そういう時代に生まれた、統一教会というものがありますが、かつて日本国の神道系の人達が世界に対して天皇を救世主にしようといったお話を、教祖になった人物が自分の頭で作り替えただけといってもいいのです。私にいわせれば、そういう情報が人間社会の無意識の中に強烈にあって、それを教祖になった人物に取り憑いた何者かが代弁しただけなのです。キリスト教の分派というものは常にそうやって出てきたし、今もあるのです。そして日本の内部でも同じようなことをやってきたのです。

それらのことは、この日本国の正しい神様業界からいわせれば、千三百年前に卒業した問題を改めてほじくりかえしているだけでしょう。それをするあなたたちは馬鹿じゃないの、というお話なのです。千三百年前に国譲りしたってことは「もうスサノヲ型救世主の時代は終わりました。シラス国にします」と決めたお話です。だから、力による革命とか、暴力による支配などは、日本の神様ストーリーにはもうないのです。それをキリスト教文明を見ていて、明治の人間、明治以降の敗戦までの人間達は、この方法なら上手いこと世界の人間が日本を神の国と見てくれるかもしれないと思ったのです。明治維新でね、この日本国はウシハク文明に逆戻りしたのです。最終知識と、私がいっていることを正しく理解すれば、それしか結論がないのです。

———–抜粋終わり—–

いま、政界との癒着が取りざたされている統一教会。歌手の桜田淳子さんが合同結婚式に参加したことで、一躍有名になりました。私は、彼女と同年代なので、キャンパスでも何度も勧誘を受けました。でも話を聞いても全く理論的ではなくて、なんで皆さんが魅せられるのかがわかりませんでした。しかし、勧誘はしつこくて一度話を聞いたら何度も誘いにやってきます。弱冠二十歳ぐらいでしたから、こちらも強く言えませんでした。結局、母親が一喝して、それからは来なくなりましたが、実家からの通学だったからよかったものの、独り暮らしとかだと付け込まれることも十分にあると思います。

同世代の女性たちが合同結婚によって、世界のあっちこっちに居住していることがわかってから、「せっかくこの時代に日本に生まれたという運の良さを、無知なことから自分で捨てていくなんて…」と、思いました。自分の周りの人の言うことにしか耳を貸さなければ、相手側の都合で動かされることになります。それほどに、世界は邪悪なのです。

日戸 乃子(ひとのこ)

 

『神を超えよ! 仏を超えよ! 積哲夫の言葉【一の巻】』の紹介記事 その⑥

今回も、シンショ・シリーズの新刊本の内容紹介をいたします。

出版作業の方は、印刷段階の手前に行う最終校正チェックになっております。

もう少しで、皆さんのお手元に届けられると思うと、私もワクワクいたします。

———–以下抜粋—【第二十二回】から

何田 たましいは光五十パーセント、闇五十パーセントで生まれて来ます。その後人生を生きて死ぬまでの間に光二十パーセント、闇八十パーセントならばどうなるでしょうか。

 死んだ時にたましいに光が多ければ光の世界の道筋に乗れるし、闇が多ければ闇の世界へ行きます。それでさよならです。残念でした。さようならです。今の日本人は人間として生まれるのは最後だからこれで終わりです。

何田 たましいの何が光で、何が闇なのかという議論にはならないでしょうか。

 なりませんね。生きている間も死んだ時も、どの時点でもこの宇宙の創造の意志とでもいうべきものに一体化し、私(自分)というものがなくなれば、たましいは光の道筋に乗ります。しかし、ほとんどの人は、私がなくせないから、光の世界に上がれません。皆さんそこを目指してきたのにね。何田さんの質問は過去の宗教にこだわっています。幸せは何ですか、といっているようなものです。幸せなんて人間が幸せと思ったら幸せなのです。そう思う時は人生に何度もありますね。不幸も同じように何度も訪れますが、そんなものが永遠に続くわけがありません。自分の思い通りにならないのが人生です。宗教的な問題と、精神学の問題と分けて考えてください。精神学は宗教ではありません。宗教を終わらせるために精神学があります。宗教的疑問を解決したかったら、最終知識を読んでください。そこに答えが書いてあります。

積 哲夫の覚醒後の段階として、次の三つがあります。

・千九百九十一年から二千年までは最終知識完成の段階

・二千一年から二千十五年までは日本列島、もしくは日本人を覚醒させる段階

・二千十六年からの新しい時代の段階

今はこの第三の段階に入っています。

精神学を学んでいないすべての人は千九百九十年以前の過去の知識しかないのです。千九百九十年以前のそこにある過去の知識を駆使して、あーでもない、こーでもないと右往左往しているだけなのです。もう時代は進んでいるのです。何田さんの質問は宗教がテーマにしてきたものを再び持ち出していると気がつきませんか。

何田 はい、わかりました。気がつきました。昔の時代の宗教の問題でした。

 何田さんが一番知りたかったのは、「人は何のために生まれるのですか」というお話でしょう。それに対して、たとえばブッダは自分なりの答えを出しました。ブッダが出した内容は、最終知識に掲載されています。ただ、仏教でご飯を食べている人は、これを受け入れがたいはずです。なぜでしょうか。いくら修行しても、自分はブッダのところまで行けないからです。ブッダはいわれています。修行はいらないよって。修行はいらないのです。時がくれば、皆さん、わかるようになります、と。

イエスも同じです。イエスは十字架上で「神よ、神よ、なぜ私を見捨て給うのですか?」といわれています。それは、イエスはその時まで、やることをやったから自分は救われると思っていたのですよ。でも救われなかった。結局、ブッダの悟られた「時がきます。それまで待ちなさい」が真実なのです。

———–抜粋終わり—–

「私(自分)というものがなくなる」という現象が、たましいが光の道筋に乗っている状態だそうです。

つまりは自分のことだけを考える、自分の利益(得)だけを考えるという状態から、世界全体、人類全体のことまで視野に入れて思考できるようになり、最善の方法は何であるのかを知る人は『光の道筋を歩む人』なのです。

この到達点に至るまでには、過去の自分の黒歴史を直視する必要性があります。自分の人生のテーマが理解でき、それを知識という理解に変換すれば、自分という小さな者に執着する必要もなくなります。でも、ありのままの自分を直視できずに、不遇を人のせいにする人がほとんどです。

自分のことがわかっていないから、人間は自分自身のことに執着するのですね。自分を境界線にしてしまえば、そこから先へは意識は広がっていきません。

日戸 乃子(ひとのこ)

『神を超えよ! 仏を超えよ! 積哲夫の言葉【一の巻】』の紹介記事 その⑤

 

———–以下抜粋—【第十三回】から

 それは、今の日本人の多くに、精神界のルールに関して、これは精神学協会の会員の方も含めてですが、勘違いされているところがあるということです。多くの人が、やがて光の世界に行けると思っている、つまりみんな救われると思っている。それは間違いです。すでに今の日本人のたましいは光の世界に行ける人と行けない人が、もう分けられていると思います。

何田 それは若い子供からお年寄りまで対象で、日本人でということでしょうか?

 そうです。難しいのはとくに戦後生まれのお年寄りの方ですね。というのは真実の歴史を知らないからです。真実の歴史を知るというのはとても重要なことなのです。今の日本人はうその日本の歴史を教育で学ばされてきました。そのため、ご本人はうその日本の歴史を本当だと信じて、死んだ後、たましいはうその日本の歴史の世界に、自ら行って閉ざされてしまいます。

とくに日本人はこれが最後の人生なので、もうその人のたましいは生まれ変わりません。外国の人なら亡くなった後、次は日本人に生まれ変わります。真実の歴史を知った、たましいがその役割をはたせば、亡くなった後、光の世界に行くことができます。まだチャンスはあります。しかし、今の日本人として生きて人生を送られている方は、これが最後の生なので、最後のチャンスになります。今の日本人のたましいが光の世界に行こうとすれば、生きている間に真実の歴史を知る必要があります。

光の世界は真実のみの一片のうそのない世界です。うそがあればダメなのです。うそがあれば、そのたましいの最後の審判の時に問われます。今の時代、この世に流布しているうその歴史や情報は、自分から求めて調べれば、簡単に見破ることができるはずです。インターネットが普及した世界ではうそは通じないのです。そのように、その日、その時が用意されたのでしょう。

なぜ、あなたは真実を求める、行動を起こさなかったのかが、あなたの最後の審判の時に問われます。本当の正しい真実、本当の正しい歴史を知るということは、たましいが光の世界に行くことに対して絶対必要条件になります。

何田 そのお話をもう少し詳しくお願いします。

 今の日本人が知っている歴史は、第二次世界大戦の戦後、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)が日本国民に教育を施した中で教えたうその歴史です。うその歴史の出発点を説明すると、今の西洋文明です。ある時、ある者達が神や王、教会の財産を奪い取るために自分たちに都合よく歴史を書き換えて、それが人類の文明の進化のように宣伝しました。現在の世界はその時空の中に存在しています。もともとは、キリスト教会の宗教というシステムが間違っているからです。本来、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教など、聖書やコーランなど、神と人間の対話の部分には、神の理(ことわり)が隠されています。しかし、それを伝える者が自分が神の代理人だとして、神の権威を借りて他の者を服従させ、欲しいものをすべて自分の所有物にした。神の威を借りて、他者のものを奪い取った事実は罪といわざるを得ません。

この流れの中で第二次世界大戦の戦後、GHQが日本人のアイデンティティー、つまり日本人らしさを否定し、西洋文明が一番だと教えたのです。そのため戦後の日本は、日本人が本来持っていた神に近い精神性の高さや、愛、勇気、正義、他人をおもんばかる慈悲、というものを否定する方向に人生を生きてきました。

勝者がすべてを奪い取ること、勝利が正義という西洋文明を信じ込み、天の理に反して生きてきた人のたましいが、真実の光の世界に行けるわけがないのです。天の理を知り、その意志を受け継いで、この現実世界で生きた言葉を使い、教育的に他者に伝達できた人だけが生きている間にたましいの神性を光輝かせて、死んだ後に天、光の世界に迎い入れられるのです。なぜ、このシンプルな道理がわからないのですか。なぜ、あなたは理解しようとしないのですか、と私は問い続けているのです。

あえて、忠告すれば、早く天の道理を理解し、真実の歴史を知り、神理を宿した言葉で教育を行う人間が育つべきなのです。審判の時代では、ただ仕事に真面目に取り組んできた正直に生きてきたというだけでは、生まれた理由もわからず、たましいの成長もないのですから光の世界に行くことはありません。西洋文明と闇のマネーの時空の中で人生を生きた、つまり、自分のために生きた内容だからです。あなた方が生きている間に気づき、天に通ずる行動、言動で日常を送れば未来も変わるのです。

———–抜粋終わり—–

嘘で塗り固められた物語ではなく、正しい歴史を知ること。

そうすれば、人間の脳は正しく作動し始めます。

それが『最後の審判』の時代に生きている私たちの在り方なのです。

進化の方向へ行くのか、このまま真実から目を背けて残りの時間をぬくぬくと過ごすのか。まさに、私達の生き方が問われている時代になりました。まだ、間に合います。自分の脳を正しい起動に戻しましょう。それだけで、人生が楽しくなります。

 

ひとのこ