音域

 

今回は少し脱線。
先日のママさんコーラスのできごとです。

わたしは下手ながら長年ソプラノを担当していました。コロナでメンバーが減り今回はメゾソプラノのパートです。先日は面白い現象が起きました。ソプラノ3名が揃って半音近く声を外して、なんと隣から三つの音が聴こえて来るのです。勿論音は低く外れます。このように、同じメンバーがあり得ないほど音を外したのを聴くのは20年以上の経験で初めての事で不思議に思いました。

自分自身を振りかえると、からだが強張っていたり、気分がすぐれない時は咽周辺の柔軟性が失われて声の音程が下がります。日常的に発声練習をしている方はこのような酷いブレはないのでしょうが、たまの発声で辛うじて音域を保っている素人のわたしたちには、僅かなからだの変化が声に影響を与えるのかもしれません。湿度の多い季節から代謝不良になりやすく、からだも浮腫みやすい。

脳が誤認識しているのか、筋肉の柔軟性など技術的に音程が出せないのか分かりませんが、3人同時に酷く音を外すことは過去に無かったこと。先日のじゃが芋畑で感じた霊波動に関連するシンレイカイの波動が影響を及ぼしている可能性も否定できないような気がしますが、今のところ原因不明ということになります。

このところの患者さんの不具合(頭痛など)の原因は、内臓の代謝不良によるものが多いです。霊的なエネルギーは太陽神経叢付近に宿り易いということも一部で知られています。最近は、電車の車内でも特異なマイナス波動は人の身体から発せられています。わたしたちの生活圏にかつてなかった波動の変化が起きているようなので、しばらく世の中を注意深く見ていこうと思います。

浄化上昇で心身を調えつつ、食事、運動、心の健康など気をつけてまいりましょう。

 

馬鈴薯を掘りました!

 

畑は花盛り。馬鈴薯の収穫が終わりました。キタアカリ3キロ、男爵3キロから約10倍の収穫。今年はどこも豊作のようで芋も大きい。味も深くて美味しいです。

 

昨日は不調なお隣さんの馬鈴薯掘りを少し手伝いました。耕作者のNさん(70代女性)は躁うつ傾向。下痢が止まらず外に出れなかったようで2週間ほど姿を見かけませんでした。いつもメガフォンのようにガーガーと話す豪快な雰囲気はなく、ボワーンとした表情と張りのない声。息苦しいと言いながらスコップを土に入れるのもしんどそうなのです。

わたしはスコップで掘り起こしながら、土から馬鈴薯を手に取ったところ何か変な感じです。土がねっとりして手に違和感が伝わりました。お墓の側を通ると強烈に感じるアノ感覚。馬鈴薯についた土がへばりついてベッタリ残る粘着感。わたしの畑と細い私道を隔てているだけですが、土が全くちがう。土を触って霊的な波動をこのように感知したのは初めてでした。

Nさんの今回の下痢は長年なかったことで、病院でも原因がわからないそうですが、毎年湿気の多いこの季節に心身が不安定になっていました。明るく気のいい方ですが、普通の人よりも勝ち気で焼きもちやきの面があり、見た目の雰囲気よりも心は繊細です。周囲をこまらせる少し欲張りなところがあり、不調和の原因は土壌のようすと類似したご自身に起因するところも大きいように思いました。

最近とくに電車の中でも感じている、サイバー空間や人間間のマイナス波動の増幅が人と土地の間にも起きているのでしょうか?

庭一面の地茅

 

GWに南さつまに帰り、問題になっていた庭の地茅と向き合ってきました。ひと冬の間、庭に手を入れることができませんでした。井戸もあり元の畑地にしたいので除草剤は考えていません。五年ほど前から近隣は不耕作地になっており、地茅は四年前に庭を草払い機で刈るようになってから少しずつ増えてきました。昨年、庭全体に茅の白い穂がなびいているのをみて、これは大問題!

地茅は竹の根のように地下茎をのばし、光合成で繁殖しているそうですが、根が何層にも重なって取り除くのは骨がおれます。昨年は森に思いをよせている娘と砂土を鍬で耕し、茅の根を掘りあげて、後に地産のラッキョウを植えました。写真を見るとラッキョウはどこに?(笑) しかし地茅の繁殖を防ぐ効果はありました。

(草に埋もれたラッキョウ畑)

今回は次男と一緒に、ラッキョウ畑の隣の敷地に耕運機を入れて茅の根を掘り起こしましたが、息子は所用で翌日東京に行ってしまいました。仕方なく地産のさつま芋を一人で茅の根を抜き取りながら植えました。作業は面積も前回の倍以上あり、茅の根の掘り出しにはてこずります。保水と茅の増殖を防ぐ目的でマルチをかけましたが、通常の倍時間がかかり疲労も極限まで。

(根は地中にまだ半分残っている)

庭全体の地茅を取り除くのは、おそらく数年かかります。地元の人が「土ごと入れ換えないと無理。」と言うだけに手強いです。今回収穫したラッキョウは痩せていましたが、茅の根と対峙してくれたので十分かと思いました。数年かけて、この土地に立派なラッキョウやさつま芋ができることを期待します。

そして、他にも収穫の仕事がありました。今回は枇杷がまだ青く、高校の先輩ご夫婦と梅を大量に収穫しました。

氏神さまもきれいに。最後に庭の四方にお塩を置き、土地のお清めをさせて頂き仕事を終えました。疲労困憊していたので、庭を三週回る頃に場が少しかわったのを感じた時はほっとました。

田畑はすでにありませんが、古くからから祖先が住み続けてきた土地を父が一人で守ってきました。わたしの代で荒れ地にするのはとても心が痛みます。都会育ちではありますが、幸い次男が最近移り住んだので、この土地を生かし未来に繋げていけると良いのですが。しかし、週末は海辺のタンカン畑の応援もあるようで、広い庭の管理は一人では少し気の毒ですね。

たわわなる梅の実落とし先祖供養

 

 

馬鈴薯の芽かき

 

今年もこぼれ種から落ちた矢車草が咲き始めました。

矢車草の季節は、馬鈴薯(ジャガイモ)の芽かきの頃。先日、馬鈴薯の芽かきをしました。種芋は三月に植えて三週間ほどで芽を出しましたが、遅霜にあって葉が痛んでしまいました。

今年は遅霜が降りた数日後に夏日が訪れて、あっという間に背丈20センチ程になりました。芽かきは、馬鈴薯の玉が不揃い、小粒にならないよう、そして根元の風とおしを良くすることでしょうか。立ち上がった芽を2本~3本に調えるのが一般的なようです。

先日霜に当たった茎からは、根元からたくさんの脇芽が出ていました。他の芽に太い茎が立ち上がっていれば、霜で傷んだ茎は芽かきの対象になります。芋をそっと押さえながら、浮き上がらないように茎をねじるように抜きます。

野菜作り10年目にして知ったのですが、根元に根が生えている抜いた茎は土に戻すと馬鈴薯ができるようで、すでに馬鈴薯の赤ちゃんがついているモノもあります。

芽かきをすることで味や成分が変わるわけではないので、調理の便利さや売り手の都合で慣習化されたのかもしれないですね。何れにしても、健全な(良い波動を備えた)土壌微生物を育むことが植物の免疫力を高めて美味しい馬鈴薯を育てることになると思います。

以前も記しましたが、土は落ち葉と糠。必要に応じて春から夏に藁を入れて、納豆菌などの土壌微生物を育てる農法です。

芽かきは腰がとても痛くなりますが、六月の収穫がとても楽しみです!

 

【主な効能】

馬鈴薯は気(体のエネルギー)を補います。 特に「脾」に作用して消化活動に力を与えます。 胃腸虚弱の改善、高齢者の体力増強、子供のからだの土台づくりなど。

 

みた やすよ

 

凍解けの蓼科山

 

日本列島を挟む二つの低気圧が足早に通過。双子池テント泊の予定が変更になり、山域を変えて日帰りで蓼科山を歩いてきました。

 

◉サルオガセ

ホワイトアウトのスキー場をぬけて、ゴンドラ終着駅に着くと雲の上。新雪が積もっていなかったので、前日は霙だったのでしょうか。春の雪は柔らかく所々膝上まで踏み抜く箇所もありました。間もなく出逢ったサルオガセの掛かる木々が美しい。

七合目登山口にたどり着くと、初めて知ることになった蓼科神社の鳥居があり、その鳥居をくぐるように山道が敷かれていました。御祭神を知らす立て札は見あたらず、拝礼して少しずつ高度を上げて緩やかな谷筋を登りました。

時折振り返ると木立の隙間からアルプスの山並みが遠くに見えて美しい。やがて蓼科山荘に着くと、小屋は雪でおおわれ僅かな屋根がのぞいていました。平坦な樹林の奥には綿帽子のような蓼科山の上部が見えて、強い日差しに雪面が光っています。

◉蓼科山荘の屋根

◉蓼科山

冬道ルートは急な雪の斜面を直登するようですが、先行パーティーに譲られた先はトレースが無く斜度も増して振り返ると少しクラッとする高度感。岩の露出もあり、雪の状態も解らないので下りを想定して12本爪アイゼンに取り替えて来たのは正解でした。

山頂はとても広く雪冠の北アルプスを初め、360度見渡す山々は今まで見たこともないほど鮮明に映りました。蓼科神社奥の院は中央に鎮座されて、陽を背に向けているためか黒っぽく見えます。祠は東端の高度標識(2530m)から遠く離れていて、記念撮影で無惨に踏まれることもなく安堵しました。そして、聖別塩を持ってこれて良かった。岩の隙間を踏み抜かないようストックを挿しながら、慎重に移動してお参りを済ませた後、歓喜する山々の景色を眺めて下山を開始しました。

 

◉奥の院

降りはいきなり高度感あふれる斜度。小舟のように浮かぶ雲を遥か下に眺めながら、そして雪崩を少し気にしながらリズミカルに降りてきました。

◉降り斜面からの雲

七合目までは一気に降りたのですが、そこから先は陽射しで緩んだ雪を腿まで踏み抜く頻度が増して、正直ココが一番の正念場。ゴンドラの駅が見えても中々着かず遠かった。

すでに樹のまわりには雪解けの溝が開き始めています。この先雪解けはさらに進み、根に蓄えきれなかった水が麓の川へと流れて行くのでしょう。足元にある雪が平野を抜けて海に辿り着くのはいつの頃かと思うと、日常の時間の流れと異なる時を感じる不思議な感覚。ふと、人のからだの中を流れる水のイメージが重なりました。今年も田畑が豊かな水でつつが無く潤いますように。

 

蓼科神社

祭神: 高皇産霊神・倉稲魂神・木花佐久夜毘売

 

みた やすよ

 

西伊豆の稜線を歩いてきました。

 

西伊豆の仁科峠から船原峠まで歩いてきました。桜や豆桜の開花には3週間ほど早いのでしょか。稜線は海からの風が冷たく残雪も所々ありました。

牧場の牛を左に眺めながら峠に着くと稜線の遥か向こうに美しい富士山。風が強いものの陽だまりもあります。西伊豆の海と富士山を眺めながら歩いてるうちに身も心も軽くなりました。

登り降りしながら足の筋肉ポンプで心臓に血液が戻る。腸に刺激が伝わり内臓のバランスが調う。からだの意識が下丹田に下りて上半身がリラックス。腹式呼吸で息が深くなる。適度な山歩きは気血を促し内蔵の代謝を活発にしてくれます。

そして美しい自然。爽やかな空気、草木の香りは心が落ち着きますね。

 

 

みた やすよ

 

五感にふれるもの

 

「触れる」「振れる」

そのような感覚を大切にしたいと長年思っていました。

冬から春の気圧配置に変わり、一気に春の花が咲きはじめました。庭先で花の蜜をついばんでいるメジロが絵になります。垣根を越えて鼻をくすぐる梅の香は清々しくて脳にも良い刺激が伝わって来るような気がします。冬の寒さで縮こまっている心身を色と香りで解きほぐしてくれる春の訪れは静から動に大きくかわる瞬間。俳句の世界では「探梅」と言って、梅を探しに野山に分け入り詩を詠む習わしがありますが、春のすがたを五感をとおして言葉に置き換える日本の文化も素晴らしく思います。

季節はさらに桃から桜へと移ろい、山肌に霞がかったようなオーラが吹き出すと芽吹きの季節になります。桃や桜が咲く少し前に、遠目から見た樹がふわっと桃色に覆われるように、新緑の前は山肌の色合いが刻々と変化してわくわくさせてくれます。いよいよ新緑の季節になると山桜の薄桃色が点々と彩って言葉に表せないほど美しい。浅黄色、浅葱色、萌黄色、鶯色と芽吹きの色合いだけでもこれではおさまらない。和色辞典を眺めても、芽吹きから深緑に至るまでの色のバリエーションは豊富です。日本の国土の多くは山があり、木々の保水力によって滔々とした水脈が保たれている国の形を現しているようです。

世界の中でも貴重な飲める山の水。そこから育つ生物や人々はどこかやさしくて素直。外来種の虫や草木ようにアクのつよさを感じさせない風土は、この国に置かれた宝物のような気がします。「神の国」と呼ばれてきた美しい波動を絶やさないようにしていかなければならないと心の底から思うわたしがいます。

梅の香に澄みしわが身を取り戻し

木立みず

 

お粗末さまでした!(笑)

腸はからだのエンジン

 

冷たい魚を捌こうと手を添えると、腸に向かってキューっともよおしたくなるような刺激が伝わります。手の平が冷えると腹も冷えるのです。手には大腸経の経絡も流れてきているので解りやすい反応でもあります。

また、腸には歩くことでも刺激が伝わり活性化されます。重たい荷物を背負って2日ほど山を登り降りすると、平地では見たこともないような立派な作品が排出されます。腸に良い刺激を送ることはとても大切なことなのです。

鍼灸においては、舌診でまずお腹の代謝の状態などを確認します。血液は心臓ポンプによって全身に巡らされますが、腹の臓器は第二のポンプとなり、重要な働きをしていると思います。

外敵に打ち勝つための免疫力を生み出す腸内環境を調えるには、一定の体温や刺激が必要です。善玉菌、悪玉菌ということばを耳にしますが、腸内環境によって、生息する微生物の種類が異なります。億年単位の地球の歴史の中で、灼熱、寒冷、日照、酸素濃度など、様々な環境変化がありました。清流や蓋をされたドブ川の流れの中に異なる生物が生息するように、環境によって棲み分けている微生物は、腸に大きく影響を及ぼしています。

わたしが自然に近い方法で野菜を作り始めてから10年が過ぎました。栗林を倒して道路工事の砂利混じりの残土を乗せた土地でしたが、枯葉、枯れ草をすき込むことで、黄色い土も今では黒い顆粒状になり、まともな大きさの玉ねぎも作れるようになりました。

長年野山や畑の土を観察しながら、わたしの中では人体の腸を重ね合わせて来ましたが、腸は体の原動力(モーター)かと思います。そして、内臓は常に温かくなければ適切な活動ができない事情があるのです。わたしの施術は、まずお腹の状態を調えるところから始めます。

へそ周りの灸や鍼も復元力がありよく使います。ここに来て、師のもとにイコンシール、波動シールという、未だかつて存在しなかった(既存の領域を超越した)アイテムがもたらされましたが、波動シール(腸)は私が待ち望んでいたタイプのモノで、鍼灸を超えた領域で身心のしくみに有効な調和を生み出すものになると期待しています。

 

みた やすよ

植物と動物と土

野山を歩いていると、鳥の羽が散乱している場面に出会うことがあります。弱肉強食が昆虫や動物の基本ルール。植物は環境に適応しながら種や胞子、地下茎などを残していく仕組みが多いようです。
花に虫を引きよせたり、風や鳥の力を借りて種を遠くに運ぶようすも理にかなってますね。そして、そのほとんどが根を下ろした所で生涯を終えています。中でも、根っ子によって微生物との物質交換により栄養をたくわえ、免疫力を養うしくみは興味深いです。草木は晴れの日も嵐の日も根付いた土地で自然を受け入れています。目に見えないけれど、免疫力を蓄えバリアで害虫を寄せ付けないようにしている姿は健気です。

一方、人は哺乳類ですが、腸で微生物の力を借りて栄養や免疫力を獲得する方法は、根と土の関係とよく似ています。ミミズのような食道から肛門までの一本の管をひっくり返すと、根っ子と同じ関係になるのも面白いです。また、細胞には植物起源のミトコンドリアも組み込まれて、摂取した食物を分解する過程で活力となるエネルギーを生み出しています。

わたしの畑では農薬や肥料を使っていませんが、自然に近い形で作物を育てる中で、人の健康や子育てに関わる気づきに出逢うことがあります。調和を前提としているであろう自然界の中には、生きるヒントがたくさんあり『人は自然の一部なんだなあ。』といつも思います。

みた やすよ