亡き母の夢を見た一年前に亡くなった母。私の大好きで大嫌いだった母。母は認知症や心臓病など数多くの病気を抱えながらも、92歳まで長生きしたのですが、若い頃は、私にとってこれほど大きな負担はない程、母親としては弱く、十分とは言えない子育てをしたと思うのでした。深い愛情をくれながらも、弱さゆえに娘の私に対して不器用な表現しか出来なかった母、 今度は私から母への感謝状として今、書いているのです。

亡くなるひと月前、遠い鹿児島中央駅から新幹線に乗り新大阪駅までの道のり。点滴と酸素吸入しながら、新幹線の多目的室にベットを作り、私と私の下の娘の見守る中そこに寝かせての旅だった。新大阪からは、民間救急車に乗り込み、和歌山の病院にたどり着いたときは、もう、とても憔悴していた。でも母にとって、生まれ育ったふるさとで、私たち娘家族と過ごし、母の姉妹たちも近くに居る、その和歌山に帰ってきたよと、喜んだ。

この日、私は、覚悟の上で和歌山に連れて帰ってきた。遠い九州種子島の土地に、兄夫婦が住んでいたので、そこへ移ることにしたさらに2年前。娘と暮らした和歌山の家を離れ、鹿児島からさらに遠い種子島の兄夫婦の元に飛行機で引っ越して行った時は、寂しさもあるが、希望に満ちていたのです。母は大好きな息子とまた暮らせることが一番嬉しかったのです。兄夫婦が母と暮らすことを再び受け入れて、私たち夫婦は元の鞘に戻る筋道に、安堵して送り出しました。一年半の種子島での暮らしは、島のデイサービスに通い、兄との会話を楽しみにした、穏やかな日々でした。私も手紙で心境を知らせて、わたしの五十数年の人生で最も母のことが好きになれた時間でした。離れたがゆえに更に、母の事が大好きだったことを改めて感じながら手紙を書か日々でした。

母は、亡くなる時は、とても細く2週間余りわたくし娘の家に戻った挙句の、別れでしたが、昨日夢の中に出てきてくれた母は、ふっくらしたあの最高の笑顔で、私のことが好きだった事、明かしてくるのでした。私も大好きだと言って、抱きついたのでした。生きている時、照れ臭く出来なかったことが、夢の中だけど、手を握り、抱きしめたのでした。幸せなほんとうにステキな夢、でした。