精神学の出発点は、ブッダもイエスも人間の身体を持っていたというところにあります。

人間精神は、古代ギリシアで、神や神々と共存しながら、発展するように見えましたが、歴史はそういう歩みをしなかったのです。それは、何故なのかを考えると、ほぼ同じ時代にインドに生まれたブッダの存在に行きつきます。つまり、宗教の時代が終わりに到るためには、ブッダの知も、イエスの知も、人知としてではなく、神知と統合されたものとして、人間の世界に改めて、置き直す必要があったということに、人間は気付く必要があるのです。その流れを人知の側に移す舞台として用意されたのが、日本列島で、ここに、最後の最後に発動する仕組みを、千年以上も前から、精神界が用意してきたのです。その辺の詳細は、「最終知識」に書かれています。精神界の情報を人知に移すための、最初の問題は、精神界というところでの共通語が、いにしえのやまと言葉というもので、そのオトダマ、コトダマの情報を現代語に移すために、生きている人間の脳に回路を開く必要があったのです。会長のひとりごとを出力しているひとりの人間の思考系が、精神界の情報系、神的論理回路とつながるものなので、この言語系を脳が学ぶことで、神や神々との対話に到る道がつくられます。