2014アーカイブ-1201-1127

通信-14年12月1日-2
Friday, December 5, 2014, 18:47
(2014.12.1 pm11:57)

“よくよく、あなたがたに、言っておく”
と、伝え続けてきたことの意味を、
自らは、知らないものである、という
認識を、ほんの少しでも持つことが
出来るものであるのならば、
何ものが、聖書の時代の終わりを、
もたらそうとしているのかを、
いちどでよいから、
考えてみることです。

通信-14年12月1日-2

Friday, December 5, 2014, 18:47
(2014.12.1 pm11:57)

“よくよく、あなたがたに、言っておく”
と、伝え続けてきたことの意味を、
自らは、知らないものである、という
認識を、ほんの少しでも持つことが
出来るものであるのならば、
何ものが、聖書の時代の終わりを、
もたらそうとしているのかを、
いちどでよいから、
考えてみることです。
“あなたがたに 残された、
時間は少ない、”と、お伝えしていることの
意味について、ほんの少しでも
耳を傾けていただけるのなら、
ご自身の、その、生き様、と言われるものが、
どのような、ありよう(様?)であったのかを、
いちど、振り返ってみて、下さい。
残りの人生の時間を、
どのような目的のために、燃やすのか、
ということです。
自らの正当性を主張しながら、
何ものかを犠牲にして、
ぬくぬくとした場所で
高見の見物をしていたいものなのか、
それらの最終的な決断の時期が、
そろそろ、せまって来ているということ
なのです。
目的が何のために、
残りの人生を生きるのかを、
よく、考えることです
つまり、自らの生存の、存在の、
基盤や基軸を、
何に置くのか、ということなのです。
からだがある時間内に、
どのような目的のために、
その時間を費やすのか、ということなのです。
義のために、生き抜いた、
ものなのか、
あるいは、利己的な、目的のために
自らを納得させながら、
生存時間を過ごしてきたものなのか、
最後の最後になって、
“これで本当に、良かったのだろうか”、
と、後悔をしないために、
あなたは、あなたの、生命の、
残存時間を、
どのような目的のために、
燃やし尽くすのか、
ということ、なのです。
同じことは、もう、
何度も何度も お伝えしました。
あとは、あなた自身が、
お決めになることなのです。

通信-14年12月1日-1

Friday, December 5, 2014, 18:45
(2014.12.1 pm2:20)

“能力のないものほど、ご神業もどきのことを、したがり、
余計なことをして、邪魔をしてくれる。”
何ものかの手先となっている、という
その状況にさえ 気付かないものたちが、
このクニの歩みの足を
止めてくれている。
それらのものたちの行動原理の
もととなっているものが、
“自分の利”、である、ということ。
“オカネが欲しい、彼氏(彼女)が欲しい
超能力者になりたい”、という
自分に対しての利益というものにしか
目が向いていないから。
その行動原理のもとに、自分の人生を
生きているから。
少なくとも、このクニには、
ひと昔前には「志(こころざし」というものを
持つ人間が存在し、
世のため、人のために 生き抜く覚悟を
持つものが 大勢存在をしていた。
自らの生き抜く生の意味について
まともに考えることの出来る人間が、
いったい、この世に どれだけ存在を
していると、いうのか
それらのことを 考えさせないために、
あるいは 目をそらさせて
楽しく快適な人生を送りたいと思わせるために、
どのような情報操作が、成されてきたのか。
知らなかった、と言いながら、
言い訳をしながら 死んでゆくものたちの
お決まり文句というものが、
“自らには何も罪はない”、といった類(たぐい)のもの。
その、おかしな状況に対して疑問を抱かずに
考えることもなく、日々の自分の楽しい生活だけを
考えて、自分のつくり出した、おとぎ話の天国のような場所へと、
去ることが出来るとでも思っているのか。
“耳のあるものは聞きなさい”、と、
言われ続けてきたことの意について、
自らの頭で考えたことでもあるというのか、
あなたがたの 頭の中でつくり出したお話が、
あなたがたの外部の物質宇宙へ反映される
ことの意味について、
考えたことが おありなのか
自らの内側を、きれいに掃除をすることが、
まず、一番はじめに成すべきことです。
自らの内側が、まっ黒な人間が、
一体どのようにして 世の中の問題点を
解決してゆくことが出来るというのか、
能力のないものほど、
ご神業もどきの ことを したがり、
担う責任さえ持とうとしないものほど、
あちこち 出掛けて 神さま事をしようとする、
自らのおこないによって、世の中を変えることが
出来たのだ、という自己満足が欲しくて
そのような おこないをするものたちが、
あちこちに おかしなエネルギーをばら撒いている、
ということ。
その、根拠は、一体 何なのですか
その、ご自身特有の根拠は、一体、何なのですか、
その、正体というものが、
あなたのなかで“神になりたい”、といい続けて
いるものの、本性なのではないのか、
“神になりたい”、“神になりたい” “  〃  ”……
神になって、
一体、あなたは、何をしたい方なのですか。
人様の信頼を得て、祝福されたい、人なのか、
崇め奉られ、人から大事にされたい、方なのか、
どちらにしても、求めているものの
根本原理というものが、最初から間違っているとは、
これっぽっちも認識をしたことなどはない、
という方でしか、ない、ということ。
相手にしては、ならない。そのような方々が、
まともに前を見て未来を考える人間の
足止めをするもの、ということに、
いい加減に気が付いて下さい。 おしまい。

通信-14年11月27日

Thursday, November 27, 2014, 14:34
(2014.11.27 am8:45)

“オカネ!オカネ!”と言って目の色を変えている
人間ほど、
貧乏神が 憑いている。
何故なら自分の人生の中で、それ(おカネ)が
一番重要なものだと思っているから。
それが目減りして 減ってゆくことに
恐怖すら感じていて、自分の手元から
絶対に手離したくないと思っているから。
オカネがあったら、欲しいものが手に入る、
オカネがあったら、おいしいものを食べられる、
オカネがあったら、いい暮らしが出来る、
オカネ、オカネ、オカネ………
人間が生きる上で、一番大切なものが何なのか
死んでから、はじめて気が付く、
という道を歩み続けているということに、
近(特に)現代の人間は気が付かない。
死んだら終わりと信じていたいものが
つくり上げた、まっ赤な嘘のお話を、
それが あたかも本当のことであるかのように
信じ込まされてきた事実を、
どれだけの人間が 認識をしているのか、
社会の仕組み、経済の仕組み、
それに、このクニの、これまでの政治の仕組み、
日米地位協定によって何が
取り決められ、どのようなものの管理下に置かれて
コントロールが、成されてきたのか、
“自分は、それを知らないものである”、
ということを認めることすら出来ないものが、
このクニのこれまでの仕組みについて
意見をすることが出来るとでも言うのか、
自分の身のまわりの小さなことに こだわり、
ああでもない、こうでもないと言いながら
他者を妬み、潰そうとするもの、
この世の中の仕組みや、どのようにして
改善をしてゆかなければならないのかを
考え続ける人間の足止めをし、
何ものかの手先となって、
せっせと はたらき続ける人間、
すべては学びに過ぎない、と言い続けている
ことの全体像を理解することすら
出来ないものである、という自覚が、
もし ご自身の存在のかたちのなかに、
かけらほどでも あるのなら、
ご自身が、今、何を学ばなくてはならないのか、
ということを、まず、考えるということです。
何を学ばなくてはならないから、
あなたは今、人間をしているのか、ということです。
持つものを妬み、他人を羨んでいるヒマが
あるのなら、
「自分のたましいを、自分で、磨け。」
ということなのです
他人を羨ましい、と 思い続けている限り、
ご自身のことも、このちの全体像のことも、
見えては、いません。
観点、視点というものが、全く違う、別もので
あるから、なのです。
自らが生きていく上で、重要なものが、一体、何なのか、
それが、ブレない基軸を持つために
絶対的に必要なものなのです。
それを教えているものが、
精神学というものの 基本です。(おしまい)

2014アーカイブ-1111-0808

通信-14年11月11日
Thursday, November 27, 2014, 14:33
(2014.11.11 am11:22)

行くのは、勝手。
どこかに出掛けて、
何かをするのも勝手。
ただ、出掛けた先で拾ってきたものは
自らの責任において処理をしなさい。
自らのおこないの結果物を、
他人に、押し付けるな、ということ、

通信-14年11月11日

Thursday, November 27, 2014, 14:33
(2014.11.11 am11:22)

行くのは、勝手。
どこかに出掛けて、
何かをするのも勝手。
ただ、出掛けた先で拾ってきたものは
自らの責任において処理をしなさい。
自らのおこないの結果物を、
他人に、押し付けるな、ということ、
何ものかに操作され、あちこちに行かされて、
使われるもの、として その人生を終えたものが、
かつての宗教者(ご神業者?)と言われた人達。
それらの方々が、何か、人々の生活に役立つことや
ものを、残したのですか?
ということです。
そうやって 正しき本来の人としての人生を
まっとう出来なかったもの達が、
自らのおもいのエネルギーとして、
生きている人達に とり憑き、
意識を操作して
操る、ということ。
それが、使われるもの、ということなのです

通信-14年9月1日

Monday, September 1, 2014, 15:17
(2014.9.1 am10:40)

たにんのために
身を粉(こ)にして はたらけますか
自らの損得無しに
相手のかたのために はたらけますか
ひととして 誠実であれ、ということが
何を指し示しているのか
おわかりですか

スピリチュアル というものに興味を持ち
何らかの能力を得たいと思うかたは
この世に 沢山います
それらの方々が 求めている能力
というものが
何を現しているのか
おわかりでしょうか
世のため 人のために
役立てる、と、言いながら
自己の顕示欲や 支配欲というものを
手に入れるために、
意識的であれ 無意識的であれ
それらの ちから(力)を手に入れたいと
思い、やまない方々は
このちに 大勢 存在をしています
目的が どのような ものであれ
他者を支配し 動かそうとする
ちから  とは
操り、操作をする能力を
手に入れようとする 人間にとっては
のどから 手が出るほどに
手に入れたいと 願い続けている
ある種の 超能力の ようなものです
ひとを コントロールし、自らの思いのままに
操ろうとする ちから というものは
ある種のビジネスであれ、宗教的なものであれ、
あるいは、“スピリチュアル”というものが
好きなかた達にとっては
この上なく 魅力的なものに思えて
やまないからです

“欲する” ということが
何らかの人間的な欲望というものに
直接つながり、それが
自らの欲望達成というものを
最終目標として、
それを手に入れるために
心血を 注ぐことになるのです

話を もとに戻します
人として 誠実であれ、ということが
どのようなことであるのかが
理解できる方達にとっては、
自らの今回のその生命のあり方を
自らが 現実的な社会において
体現をすることの 出来る方達なのでしょう

たにんの利益を得るために
みずからが、はたらく、ということ
そうやって、他者のためにはたらく方達が
増えれば、
そうじをした後に、ちりが残されていないように
明るく きれいな場へと
この世は このちは 変貌を 遂げることでしょう
自らの 利の ためではなく
他人が 利益を 得るために、
努力し 努めるかた達 というものが、
ある意志を 自らが 体現をする
という かた達なのです
ひとが喜ぶことを、自らが努力をして
現実社会で 体現をする ということが
正しい経済活動として きちんと
結びついた時に
これまでの このちにおける失敗のもととなった
エネルギー的階層のしくみ、
もしくは システム というものは
無効になります
立て替え 立て直し と
伝えられ続けてきたことの意味は
資本主義的世界の時代の終わりを告げ、
あたらしい 次の時代への扉を
開く ということを 意味します
ひとが、ある、意志のようなものを、
身体を持って存在をしている間に
体現をし、外的世界へと 向けられたその時に
“ある意志を 自らが顕わす”
ということ なのです、
からだを持って 存在をしている
その生存の期間内に
どのようなものの うつしみとして
人間社会で 働き
行動を 起こすのか、
そのことが ひとりひとりの人間に
問われている ということに 気が付けば
自らが ある役割を 担い
それを 現実社会で 体現するために
わざわざ この時代を選んで
生まれてきたもの、という真実に
向き合うことが 出来るはずです
自らの意志で 学び、用意をし、
用意の出来たものから 送り出される、という
手順を ふまえ
現実社会の場で はたらくことの意味に
気が付かれたかたは
時が来たら、送り出されることに
なるのでしょう
自らの たましいの存在の目的と意味をしり、
学び用意をして、
用意の出来たものから 送り出される
ということ、
人間社会での はたらく場と、
自らの立ち位置というものを 自覚し、
それを 現実社会において 自らの行動として
現わすということ
お祈りをし、こうなりますように、と
願うのではなく、
意志を体現して、自らが、現実社会で
はたらく、ということなのです、
ご理解をして いただけましたでしょうか

通信-14年8月8日

Friday, August 8, 2014, 12:11
(2014.8.8 am8:30)

自らのした、おこないが、
自らのところへ、帰って来る、ということ

他人をばかにして、罵り、
見下すような おこないを
周囲に向かって放射をし続けてきた
にんげんは、
それ相応の人生の終わり方を
迎える、ということであり、
自らのおこないの結果を
その人生の最後に 受け取る ということである
周囲の方々のために つくし、
その身をもって はたらいたものは、
自らのした おこないの結果を
最後に 受け取るということ
生き様 イコール 死に方
という 完全なる 理屈(理ことわり)であり
それが 正しき ルールである
ということ
言い訳を し続けていたいもの達は
それ相応の場へ
行くことになる ということ
生きて からだがあるうちに
はたらいたものは
その身をもって 証(あかし)とし
その生を 証明するものと
なるということ
たにんの人生に関与し
操作を したものは
その自らの罪を問われ
それ相応の場へと送られることになる
ということ
相手を改変させようとして
操作をする ということの誤ちに
まだ 気が付きませんか
自らの行き先は
ご当人 自らが選び 選択をするものです
違う 道へと 歩みを進めているものを
呼び止めては ならない
何故なら
その人間が 選んだ 選択でしか
ないから
なのです
自らの意志と選択で 決めて選び取る
というおこないには
当然のことながら
「自己責任」というものが 置かれています
誰かの 何かに どうにか 言われたから、
と 主張を したがるものたちは、
そこには 自分のせいではない
誰それが、こう言ったからだ、
という言い訳を、
いつまでたっても し続けていたい
かた達なのです
相手にしていては いけない
時間や労力を奪われるだけで
無駄なことであることに
はやく 気付いて下さい
自らが 助かりたい かた達は
あたかも、重りのように
まとわり付いて来るようになります
それが、足かせ、手かせになる
ということに
はやく、気付いて下さい
“救世主”ということばが つくり出した
大きな、巨大な虚構に
はやく、気付いて下さい
自ら以外の 何ものかに
助けてもらおうとすることの罪に
はやく、気付いて下さい
時間がないと言い続けていることの
意味に
はやく 気付いて下さい
あなた方 おひとりおひとりの
自らの決断 と 意志 というものが
問われているだけに 過ぎません
何ものかが つくり出した
「救世主」というものが 好きな方達にとっては
その場の層を離れるということを
したくは ないという事実に
気が付いて 下さい
相手にしては ならないということに
気が付いて下さい
全ては 理(ことわり)にすぎない
と お伝えしていることの意味に
気が付いて 下さい
時間は もう 残されては
いないのです

(2014.8.8 am7:30)

自分でつくり上げた罪を
他人に背負わすな。
———————————
何故、その親を選んで
生まれて来たのか、という理由を、
自分の頭で考えよ
(他人に、こたえを求めるな)
———————————
誰かに、何かを、どうにかしてもらおう、
という行動原理を捨てることが
出来ない限り、
何ものかの奴隷であり続ける
ということである。

2014アーカイブ-0717-0526

通信-14年7月17日
Thursday, July 17, 2014, 12:51
(2014.7.17 am6:25)

あなたは、自分が、なりたかったものに
なりなさい。
どこへでも行けるし、何にでも、なれるはず。
ひとつだけ、必要なものは、
あなた自身の意志と行動力だけなのです。
後で、後悔をしないために、
“ああすれば、よかった、これをしておけばよかった”、と、
悔やむことのないように、
一生懸命に、自分自身を生きなさい、
ということなのです。

通信-14年7月17日

Thursday, July 17, 2014, 12:51
(2014.7.17 am6:25)

あなたは、自分が、なりたかったものに
なりなさい。
どこへでも行けるし、何にでも、なれるはず。
ひとつだけ、必要なものは、
あなた自身の意志と行動力だけなのです。
後で、後悔をしないために、
“ああすれば、よかった、これをしておけばよかった”、と、
悔やむことのないように、
一生懸命に、自分自身を生きなさい、
ということなのです。
宗教のくびきを外し、何ものにも、つながれない
という状況が、“くびきを外す”、という
ことなのです。
自分自身の意志と行動力が、自分自身の未来をつくり出し、
あなたの、その行動が、
周囲の方々にも影響を与えうる、ということに気が付けば、
自分は、人とのつながりを持ちながら、
完全に自由である、ということに
気が付くはずなのです。
思い出したくもないような嫌な記憶を、
箱にしまって鍵をかけてしまうのではなく、
ひとつ、ひとつ、ひもを解いて、
自身で確認をする作業、というものが
必要になってきます。
ひとのものを横取りして、
自分のものにするのではなく、
自分が ちいさな子どもになった時の気持ちで、
何になりたかったのか、
どのようなことを したいと思っていたのかを、
思案してみる、ということなのです。
盗み、殺して、奪うのではなく、
「活かす」ということに、気が付いて欲しいと
思います。
やりたかったことを、やる、
という、シンプルな、生きる目的というものが、
見えてきては、いませんか。
“利益を得るため”、
“安定した生活を送るため”
と、いったことが、
あなたの本当の生きる目的なのでしょうか。
もしかしたら、波乱万丈の人生が
待っているかもしれない、
大きな波にもまれ、大変な思いをすることも
あるのかもしれない、
ただ、
その人生を終える時になって、
“ああ、自分は、自分のやりたかったことを、
全うしたなあ”、と、思うことの出来たかたは、
このちに何も残すことなく、後から来られる方々のために、
足跡のみを残して、
去ることの出来る、かたがたなのでしょう、
もう二度と、生まれ変わることもなく、
今回が最後、という人生であるのなら、
何をしておかないと悔やむのか、ということを
基準に考えてみることが、よいのかもしれません。
残りの人生を、どのように生きるのか、どういった
目的のために、何をしたいのか、
ということなのです。

通信-14年6月29日

Monday, June 30, 2014, 23:59
(2014.6.29 pm5:40)

自分が、それ(そのプラン)を選んで、
生まれてきた(様々な現実世界での経験を経てきた)
という自覚がないと、
いつまでたっても 被害者側的意識の層から
抜け出すことは出来ません。
何を学ばなくてはならないから、
その経験を、してきたのか、
人間の何について、現実世界において
学ばされてきたのかを、客観的な視点で
とらえることが出来ない限り、
意識はその層に、とらえられ、堂々巡りをくり返すことになります
自らのつくり出した世界を学ぶ、ということと、
その経験をしておかなければ、
本来の正しき役割として、世のため、人のために、
尽くす、という生き方をすることが、出来なかったのだ、
という認識と結論を、自らのなかで
構築をすることが、求められています。
自分と同じような経験をした方たちが、
あなた方のもとに訪れて来たときに、
その方のお気持ちが、手に取るように理解することが
出来る、というのは、それを実際に経験をしたことのある
人間でしか、ない、ということなのです
自らが、生まれてきた理由、というものが、
あるとき、ストンと腑に落ちた、と感じられた時に、
ご自身が、ある目的を持って、わざわざその親を選んで
生まれてきた、という認識を持つことが
出来るのでしょう、
自らの存在の意義というものが分かったとき、
正しく、たましいと身体は結ばれ、つながれる、
ということなのです

通信-14年5月22日

Thursday, May 29, 2014, 17:35
(2014.5.22 am10:00)

どこかの何か(あるいは何ものか)が
何とかしてくださる、と
思い続けていたい方ほど、
簡単に操作され、操られます。
自らの考え、判断、行動といったものを、
正しく 誠実な ものの基本ベースとして
とらえることが 出来る方は、自ら以外のものに
操作されることがない。
前者のかたは、自らがそのたましいの
もとたるものの座を放棄して、はじめから
明け渡しているからである。

通信-14年5月26日

Thursday, May 29, 2014, 17:34
(2014.5.26 pm0:35)

自らが審判の器である、という自覚を
持つことが出来ない限り、
自らが被害者である、という主張を
その生が尽きるその時まで
し続けようとする立場のものとして
生き続けることを選択する人生を歩むものとして、
その生を終えることになることを、
ほとんどの人間は
自覚すらすることもなく
生きている

身体を持つものとして
どのような 生き様をもって、
その生の命を燃焼したものであるのかが、
死後問われるということに
ほとんどの人間は気が付くこともなく、
人生を快適に楽しく過ごすという
目的達成のために
日々の生活目標といったものを
掲げている
目標のすり替えというものが
その頭の中で、意識の中で、
起きているということに
当のご本人は気が付くことさえもなく、
本来の目指すべき正しき目的地とは
異なった、異質な目的地へと
足を進めていることに
自分だけが気が付かないという状況下のなか、
その生を、まっとうすることになる
審判の器、と、伝え続けていることの意味を
理解することが出来るものは、
責任を担うことの苦しみと
その人生をまっとうすることの出来るだけの
知力と努力を自らが用意をしてきたもの達である
それらのルールを踏むこともなく
持つものを妬み、それらを奪おうとする
おもいのエネルギーを燃やし続けるものは
自らの責任というものについて
考えることもなく、人から奪い、あるいは
もらい受けることだけを その人生の目標として
生き続けるものとなる、ということである
原初の神のエネルギーを妬み、呪い、
殺して、埋め隠したもの、というテーマが、
ひとりひとりの人間に対して 問われている
ということに、まだ、気が付きませんか、
その責任が問われ、自らの犯してきた罪の
負債についての支払いが、問われている、
ということに、まだ、気が付きませんか、

役割を終えて去ることになった、その時に、
“お疲れ様でした。よく頑張りましたね、”
と、祝福をされながら、その生を終えることの
出来たかたは、このちに何ものも残すことなく、
地上に負荷をかけることもなく、
去ることの できる方、なのでしょう、
“損だ、得だ、”という主張や、愚痴や文句を
その存在のなかに、おもいというエネルギーとして
ため込んだまま、この世を去ることになられた方は、
それ相応のエネルギーをこの地に残したまま、
肉体としての生を終えられるかた達なのでしょう。
他人のちりについて 指摘をしている暇があるのなら、
あなたの中の、ちりを、先に自らで
掃除をしなさい、ということである

指示や指図をされることもなく、
自らの意志と判断で、学び、選択をし、
先に進むことが出来るという、しくみについて、
きちんと考え 行動が伴なうかた達は、
学び、研磨をする、ということの意味を、
知るかた達、なのでしょう
「審判の器」というテーマについて、
正しき認識を持つことの出来るかた達は、
自らの責任と、成すべき自らの仕事について、
知り、そして体現のできるかた達なのでしょう
あらかじめ置かれていた、進化の法則というものに則り、
試練や困難を乗り越えながら、
先に、進みますか、あるいは辞退をされますか、
ということが、ご自身に問われているに過ぎません
それが、最終知識という書が伝えていることの
意図する内容であり、それらは既に開示が
成されているものである

2014アーカイブ-0515-0325

通信-14年5月15日
Monday, May 19, 2014, 16:36
(2014.5.15 pm8:45)

(これから先、人間社会で仕事をし、働く方々へのご伝言です)

“あなたの人生の未来を、
潰すのも、生かす(活かす)のも、
すべては、あなた次第である。”

“自主学習”
“自助努力”
“自己責任”

通信-14年5月15日

Monday, May 19, 2014, 16:36
(2014.5.15 pm8:45)

(これから先、人間社会で仕事をし、働く方々へのご伝言です)

“あなたの人生の未来を、
潰すのも、生かす(活かす)のも、
すべては、あなた次第である。”

“自主学習”
“自助努力”
“自己責任”

その認識が、無い限り、
いつまでたっても、あなたがあなたの
人生を運営してゆく、ということは、出来ないということである。

宗教のくびきを外す、
もしくは、
スピリチュアル、という
自らの存在以外のものからの
何らかの恩恵を求め続ける
ということを、やめる、ということが、
“目が覚める”
ということなのでは
ないのでしょうか…

それとともに、
“知るということは、
担うということである”、と、
お伝えし続けていることに
気が付いて欲しいと思います。
何のエネルギーを学び、
そして、自らがそれを担う役割を
持っているのかを、
お考えいただきたく
思います。

“契約”という意味と、
それを履行することが
求められているということの意味について、
きちんと、お考えになられたことが
おありでしょうか、
何を求めて、エントリーをしたのかが、
問われている、ということなのです。
その本来の正しき意味を
理解されたなら、
あなたは、世のため人のために、人間社会で
仕事をし、身働くことが出来るかたなのでしょう

“自らの我欲を満たしたい”、
と、思っている方は、
人様のために はたらくことは
出来ません、
見返りを求める方も、同じことです、

何故なら、結果として求めているものが
自己中心的なものでしか
ないからです。
傲慢な思いを抱いておられる方も
同じことです、
結果として、自分のところに
どれだけ戻って来るのかということを
目的の主旨に置いておられる方には、
とうてい、勤まることの出来ることではありません、

“人様のため”、
利益が他者にあること、を、
第一の前提として、
あなたが、どれだけ周囲のために
働くことが出来るのか、ということが
問われている、ということなのです。
ご理解をして、いただけましたでしょうか。

通信-14年5月13日

Tuesday, May 13, 2014, 14:19
(2014.5.13 pm0:18)

人間がかつて神と呼び
崇(あが)め続けてきたもの
“お前のことを助けてやる”、というものを
人間は求め続けてきた
自分にとって都合のよい救世主というものを
人類は求め
そして自己の救済のために
それらを手に入れようと願い求めてきた
お前のことを助けてやる、というものは
神ではない
神ではないものに向かって すがり付き、
その魂を委ね こころの安定をはかり続けてきたものたち
それが これまでのこの地球における
人類の歩みというものの 正体であり、
このちに置かれた 仕組み というもの
神の名において、と 言いながら、
責任の所在を なすり付け続けてきたものたち
何ものに魂を委ね
何ものを求め続け
何ものを その自らの存在の上に
置き続けてきた ものたちなのか
それらのものたちが 救済を求め
すがり付いてきたものの正体が 分かるなら
何ものに自らの魂を売り委ねてきたのかが、
認識することが出来るはずである、
何ものを 自らの ご主人とし、
何ものを 自らの 上位のものとして、置き、
何ものに対して、その魂を
売り続けてきたのか、ということである
自らにとって都合のよい救世主を求め続ける
ということを
やめることが出来ない限り
閉ざされることになる、ということである
神の名において、と言いながら、
自らのおこないを正当化し続けてきたものたちの
末路というものが どのようなものであるのかを、
見届けるという 仕事が 残されている
役割を終えたものは 去るのが正しい、という
ルールにより、自らのおこないを 正当化し続けながら
その生を終えたものたちは、
それこそ、自らが追い求め続けてきた
永遠性というもののルールにより、
神罰というものが 待ち構えている
つまり、自らのおこないの結果を
自らが受け取る、ということである、
神の名において、と、いい続けながら、
崇め続けてきたものの正体が、何ものなのか、
支配し、奪い尽くすことを 正当化し続けてきたもの
の正体が、何ものであるのか、
全地球を自らの所有物であるという
欺瞞や傲慢を、平然と主張をし続けてきたもの
の正体が、何ものであるのか、
その、何ものかに対して祈り、願い、求め続けてきた
その自らの責任を取るために、
その罪、というものが問われていることに、
まだ、気が付かないのですか
自らの外部に救世主を求め続けることの
あさはかさと弱さと罪について
何故、自らで考えようとも しないのですか
自ら以外の何ものかに 依存をし
助けてもらおうとする、その根本的な部分に
目を向けない限り
この、5たび滅んで6番目のもの、と伝えられている
物語は終りようが、ないのです
ひとりの人間のうちで起き、それが外部に
照射をされた時、
同じことが 1つの個体で起こり得ることが
出来たなら、外的世界へと、それらの情報は
伝達が なされる、ということである
終わり間際の星は、
そのエネルギーを爆発させる前、
猛烈な エネルギーの大活性化状態になり、
最後の勢力を強めることに気が付いたなら、
今が、どのような時期であるのかが、
分かるはずである
いまわ(今際)の時に 燃え盛る炎というものが
何であるのかが分かれば、
何の時代の変わり目であるのかの認識が
出来るはずであり、
その時、ひとつの時代が終わり、役割を変える、
と、伝え続けていることの意味が分かるはずである
今が、その時であることに気が付けば
進行中のことがプロセスに過ぎないことが
分かるはずである

通信-14年4月26日

Wednesday, April 30, 2014, 14:01
(2014.4.26 am5:35)

カウンセリングを受けると、自分の希望している答えを
もらえるものだと、勘違いをしている方が、
かなりの割合で、いるもよう。
その方が、本来あるべき正しき方向性を持って、
人間社会で働く上で、それを出来なくさせるような、
その方を阻害している問題点をご自身で認識して頂くための、
カウンセリングであるということに、
気が付いている方はまだ少ない。そのため、その方個人の
問題となっている部分を指摘する(される)ということにより、
その方から猛烈な闇的(暗黒的)エネルギーが
噴出されることになる。同席しているアシスタントにも、
そのエネルギーは放射されるため、よほどの浄化力が
ないと、努まらない。正しき分析思考力を持ち、
浄化力を持ち、それを保持し続けることが出来ないと、
汚染されたまま、影響される、ということである。
それらの仕組みを理解し、自身の浄化力を高めて、
準備をしておく必要がある。
見たくもないようなウンザリとする他人の闇を見せられ
続けていても、健全な意識を自身が保持し、意識が
揺らぐことのない人間でないと、勤まることの出来るものではない。
相手の怒りや逆恨みのエネルギーに影響され、
自身も同様の闇エネルギーを体現している限り、
それこそが、ミイラ取りがミイラになる、という状況を
顕しているということに気が付くことが出来ない限り、
闇的エネルギーの滞留場になる、ということである。
それらの危険性を認識し、健全な意識を持ち続ける
ことが求められる。積さんと働きたい方は、沢山いるが、
基本的最低条件として、上記のことが求められる。
感情をコントロール出来ない方、愚痴や文句、不平を平気で
口にする方には、とうてい勤まることの出来るものでは
ない、ということである。
(以上)

通信-14年3月25日

Wednesday, March 26, 2014, 13:50
(2014.3.25 pm8:05) 

ご自身の、暗黒点を、
ご自分の目で見て、
確かめないと、
本来の、正しきスタートを
切ることは出来ません
“自分は悪くはない”という主張をするものを、
あなたの存在の中に棲まわせている限り
いつまでたっても、
その、ご自身の地獄の層から、
はい上がることなどは 出来ないのです

自らの 欠点について
指摘をされると、
まず、その方が放射をするのは
逆恨みのエネルギーです、
そこに、その他の人間よりも、
自分は悪くない、(はずなのに)
何故、問題点を指摘されなければ
ならないのか、という
主張が、頭をもたげます。
自分よりも、この世の中に、
問題のある人間は 山ほどいるのに、
何故、自分だけが、
このような屈辱を 味わわねばならないのか、
という主張が、
まっ先に、ご当人の意識上に、
現われるため だからです
聞く耳を、持ちたくないかた、
とは、そのような方々 だからです、
よほど ご自身のこれまでの人生が
正しいものであったと、
思い続けていたい かた達なのでしょう
問題点を指摘される、ということで、
ご自身のプライドが 傷付けられた、
(むしろ被害者である、)という主張が
何よりも、一番先に、
ご当人の頭のなかに
あるから、なのです
自らのなかに 罪の意識を抱えているかたは、
幸いなことに、立ち治(直)りと、回復の
早い方であると、いえます
自らの暗黒点を認識し、
それを自らの十字架として、背負い、
この先の人生を歩むことの出来る方であるからです
聖人として、何の罪とも無関係に
生きてきた、と、自負する方ほど、
問題点は、とても大きいのです、
何故ならば、何が問題なのかを
考えることもなく、自分は正しく生きてきた、
と、主張をしたがるものが、
その存在のなかで 頭をもたげているから なのです
それらのしくみを知らないかた達にとっては、
これから先の道は、険(けわ)しいものと、なることなのでしょう

“あなた方に 残された
 時間は 少ない” と、
言い続けていることの意味を知るものは
自分が 身体を持ち
今 この時代に 生を得て存在していることの
意味と目的を 知るかた達
なのでしょう
険しくも 充実をした時間を
その生の 期間中に
おくることの出来た方たちは
感謝をし そして何ものも残すことなく
この地を 去ることの できる方たち
なのでしょう
その、伝えていることの意味を 知るものは
さいわいである
あなたがたの存在そのものが
祝福された ものたちで あるからです
———————————-
“あの時代に、それが できたのは、
わたしだけで あった しかし 今のこの時代
において、複数のかた達が、それを成し得る
ことが出来るということの 意味を
よく考えてみて下さい、” (とのことでございます…)

2014アーカイブ-0204-0127

通信-14年2月4日
Friday, February 14, 2014, 14:13
(2014.2.4 am10:20) 

“欲望のハードル”、と、“精神的な飢餓状態”
というものについて、
———————————-
人間が物欲(=お金に対する強欲)、色欲、
貪食(=アルコール依存も含む)について、
その原因となるものについて深く考察するということを
しない限り、その解決への道筋は遠いものとなる。

通信-14年2月4日

Friday, February 14, 2014, 14:13
(2014.2.4 am10:20) 

“欲望のハードル”、と、“精神的な飢餓状態”
というものについて、
———————————-
人間が物欲(=お金に対する強欲)、色欲、
貪食(=アルコール依存も含む)について、
その原因となるものについて深く考察するということを
しない限り、その解決への道筋は遠いものとなる。
欲望のハードル、というものが低いものについては、
日常で起こる、小さな幸せというものに対する
感謝と愛に満ち溢れ、精神的な満足感が
大きく、それ以上の何かを欲することはない。
それとは対極的に、欲望のハードル、というものが、
自分の目線より、高い位置にあると感じているものにとっては、
常にそのハードルを越えることが出来ないという意識を持ち続けており、
自らがつくり出した世界であるにもかかわらず、常に精神的な飢餓状態であり、
その欲望が満たされないことに対する怒りや憤りといった、
人間的な感情面に伴なう、何らかの思いのエネルギーを
その意識領域に持ち続けることになる。
ハードルが低ければ、たやすく乗り越えることが出来、
ハードルが目線の位置より高く設置が(自らで)なされているために、
常に欲求不満という意識状態のまま、人生や生活を送ることになる、ということである。
その時点で、ある種の責任転換が成されていることに当人は気付かない、
あの人間のせいで、自分の人生は不毛である、
周囲の環境の悪さが原因で、いつまでたっても自分は不幸だ、
誰も、何も、自分のために何もしてくれない、という、人生そのものを恨み、
持つものに対する妬みというエネルギーを燃やしながら、
生きてゆくものとなる、ということである。
自らの存在のなかにある、その赤くて黒い、邪悪なエネルギーの芯を、(真実を?)
見つけ出し、認識をして、改善のための努力ということを、しない限り、
そのレベルの意識状態に閉ざされ、囚われ続ける、ということである。
そういった人間ほど、解決策を他人に求め、自らを他人に委ねて依頼をする傾向が強い。
つまり、自分自身の問題を、他者に解決をしてもらおうという責任転換の、考え方である。
それが自らの外部に救世主を求め続ける、という
この2000年間の呪縛の結論ということである。
その考え方そのものを捨て去ることが出来ない限り、
おもいの堂々巡りの層に囚われ続ける、ということである。
欲望が満たされれば満足である、という、その欲望が、
色や、金や、権力である限り、支配や被支配の関係図の構図の中で、
より多くを所有したいという願望をもとに、
生き続けるという選択をするものとして、人生を送るということである。
その基本となる構造は、優劣の関係であり、
他者との比較をして自らの立ち位置というものを決めようという、
ものの考え方をしている限り、ある種の層に囚われたままである、ということである。
同じでありたい、こうありたい、という願望が、欲望へとすり替わり、
その欲望を満たすためには何でもする、といった行動体系を取るまでになる、
ということである。
切れ目のない欲望状態の基になるのは、ある種の精神的な飢餓状態で、
飢餓を解消するために欲望を満たそうとし、
その欲望を手にするためには何をしてでも、どのような手段であっても、
という精神構造が確立されてしまっている、ということである。
自らの外側に解決策と、こたえを探し続けている限り、
おそらくその生涯を終えるまで、満足する回答を得ることは出来ない、
そのことを始めから知っている、ある種のヒーラーや
チャネラーといったものは、顧客をとらえ続けるために
自分に依存させ、崇拝させる、という、
ひとのおもいのエネルギーを集め続けることに、余念がない、
経済であれ、宗教であれ、どちらにしても三角形の頂点を、
形成したピラミッド型の支配と被支配の層の中に
取り込まれていることに気が付かない限り、
引力圏の縮図の層の中からは出ることが不可能である、
ということである。
上下層の構造を構築した何ものかが意図していたものの正体が分からない限り、
搾取し、搾取されるという基本構造の世の中のしくみの改編、改造は、
難しいということである。
そのシステムを構築した何ものかの正体が分かれば、
それが自らの存在の中にも、同じように存在していることに、
ある時、気が付くことになる。
他人の問題点を指摘している暇があるのなら、
自身のなかにある暗黒を見よ、ということである。
見たくもないものは見なくてもよい、ただし、
この世のルールというものが変わったので、全ての生存をする存在においては、
ある時、自らの存在そのものについて提議がなされ、
自らのおこないそのものについて、
自ら自身にその事実を問われることになるのであろう、
審判の仕組というルールの枠組が出来ていることの
事実は既に告知が成されているはずである、
それらは既に、お伝え済みのことである

通信-14年1月27日

Wednesday, January 29, 2014, 15:52
(2014.1.27 pm9:30) 

最良の善人は、
その対極にあるものの罪を贖うために
その罪を持つものが
その身の元に齎されるであろう
その罪を贖うものが 現われ
その身を 証しとするときに
それらの 呪われた時代は 終わることに
なるのであろう
あらかじめ 予告されたことを 終わらせるために
あなた方は 仕わされ 齎された
月の 時代が終わるということの
予告とともに
それらの 予め 置かれていた予告を
成就するために その身は置かれ
用意が成(為)されたもの
ひとのつくり(※偽り・偽造/の意)上げてきた
このちの呪縛というものを 終わらせるために
あなた方は その証しをするために
用意が為されてきた ものたち
聞く耳のあるものたちは 聞きなさい
何の為に その予言が このちに置かれ、
用意が為(成)され 準備が 成されてきたのかを。
聞く耳のあるものたちは 聞きなさい
月の 呪縛が、(用意が、)成されて 終わりを告げる
刻(とき)が 来ると いうことを。
あなた方に 託(托)されているものが
何であるのかを 知るものには
その身に委ねられることに なるのでしょう
聞く耳を持つもの そのものたちに委ねられた
このちの 先の世 というものが
終(お)わりを告げ そして
つぎ(次・継)のものたちへと
さし渡された つぎ(継・次)の時代の用意であることを。
あなた方に 聞き、そして問う
その身の 何のために、使うものであるのかを。
あなた方に 問う
約束されていた このちの 御国(みくに)というものに
働くものであるのか 否か であることを。
あなた方に問う
このちの ひとつの時代を終えて
次の あたらしい時代のために 御(み)働くものであるのか否かを。
あなた方に問う
すべてのものが 消し去られ 消え失せたのちに
その存在を いかなるものに どのように問うのかを。
あなた方に問う
その存在の 足跡を どのように残し
それらが 全て何のために 使われることになるのかを。
あなた方に問う
聞く耳のある者はと 伝えられてきた
そのこたえを 自らのうちに 見付け出すことが出来たのかを。
全ての生命体として存在をし得る あなた達、あなた方、
その存在基盤となるものを、
おのずの中で自(おのず)の中で
自覚をしているのか 否か
あなた方に問う
それらの 歴史の清算を するものであるのか否か
あなた方に問う
自らのうちにあるものの その両極にあるものの
存在を 認めるのか 否か
全ての生存をする存在そのものに 告げられた
告知は重く
それを知り 耐えられるものにしか
証しはされない
全体像を知り 担うものが 現われた時
それらの予言(預言?)は 成就する
月の世代が 終わりを 告げるということと
それらの回答が このちに齎されるというもとは
同じことである
ひとりひとりの存在の 意味を 知ることが出来た時、
月の世代は 終わりを 告げるということである
          ~pm10:08 <アマツツキ>

2013アーカイブ-1212-1124

通信-13年12月12日
Tuesday, December 24, 2013, 13:18
(2013.12.12 pm10:50) 

あなたが向き合っているものが、
「何なのか」
その実体が分かれば、
解決法を考えることが出来るのでしょう

通信-13年12月12日

Tuesday, December 24, 2013, 13:18
(2013.12.12 pm10:50) 

あなたが向き合っているものが、
「何なのか」
その実体が分かれば、
解決法を考えることが出来るのでしょう
あなたに対する
課題であると、とらえれば、
何を克服しておかなければ
次へ進むことが 出来ないのかを、
知ることに なるのでしょう
これまでの 人生において、
このような課題とテーマは、
幾度となく、置かれ、
その解決法を考えるよう、
あなたの眼前に、置かれてきたはずです
乗り越えることが出来なくば、
そこに捨て置かれ、
そのまま、朽ち果てることになることは、
何も説明をしなくとも、
これまでの実経験、実体験で、
充分に勉強をさせられてきた、
はず、のことなのでしょう、
“ひとのおもい”というものが
どれほどまでに人間を束縛し、
そのおもいによって人間の判断や
行動といったものが規制される
ことになるのかを、
あなたは、もう、充分な程に
学ばせてもらってきた、はず、
なのです。
これから先の世において、
何をもって基準とし行動することが
求められるのかを、
あなたは、この数年で、
もう充分に学び得た、はず、
なのです。これから先の
この世のことが、あなた方に既に
どのように委ねられているのかも、
もう既に、知らされているはずの
ことだと(?) 認識しています、
その親を、選び生まれてきたことの理由を、
今一度、考えてみて下さい。
その先に 何をつくり出して行かなければ
ならないのか、の こたえも
その延長上に置かれていることに
気付くはずです。
見えても見えず、聞いていても聞こえない
ものの、その先に、為すべきことが何なのかを、
知るべきものには
知らされることになるのでしょう。
それは、そのことを担う用意が出来たものにだけ
知らされることに なるからなのです
用意が出来たものの蓋が、開(あ)く、とは、
そのようなこと、を、指し示しているから、
なのです。

通信-13年12月5日

Friday, December 6, 2013, 14:53
(2013.12.5 pm5:30) 

あたまが 出るぞ
あたまが、でるぞ
しっぽと おっぽの先に 巣食った
あたまが、でるぞ
見えかくれ しておろうな もうすでに
あたまの 先が もう すでに 出ておろうがな
ききかいかい (奇奇怪怪?)
ききかいかい
見えても 見えんものの 正体が
これから 今、 あばかれるぞ
何とかしてくれ いうとるものが
その身のなかに 巣食うておるぞ(よ)
いめーじ とれーにんぐ することは
できるのだが
そのために かいしょなし と (甲斐性?)
いわれ続けてきたものが
今、とり押さえられて いるとこじゃ
しっぽから おっぽから そろそろ 出てくるものが
おるぞ、 おるぞ、
ぞろぞろと おるぞ、
ゆうこう かつよう できんものの 正体が
いま あばかれて しもうたな
せっかくの いい きかい だから
とつとつと はなしを するものたちの
言いたいこと やらを
聞いてみるのも よいのじゃろ
あーたま 隠して
しり   隠さず
世のなかのために
ゆうこうかつよう できんものは、
これからは、 ポイ、 なのじゃ
そのへんのことは すでに わかっておろうに
ちいーとも 世のため 人のために
活きては おらんことを 大事にしていても、
これから先の この世では
相手にされんことに なる ということなのじゃ
もう すでに 時空のゆがみは 解消されて、
あたらしい 世のなかづくりの 方向へと
向かいつつある のであるから
そんな ところで スピリチュアルやらを
いとも 大事に 思うておるもんは
これからの このよのなかでは、ワヤやわな。
                  (もしくは、ポイ)
みらいを そうぞう(創造)せい
ということは じぶんたちのてで
生みだしてゆく ということ
どっかの しゅうきょう(宗教)せんせいの いうこと
ありがたがって きいておっては
はい さいなら。  なのじゃよ
そのへん わかっておらん にんげんは
いつまでたっても じぶんの小宇宙のなかで
どうどう(堂々)めぐりを することに なるのじゃろ
ざんねん むねん、はい、さいならでした。
よくもわるくも にんげんに 指示や 指図を
するような 低級レベルのものを 有難がっている限り、
自分で未来を創り出してゆく
努力家さんたちチームのお仲間入りは、無理じゃろな
ほな これにて しゅうりょう ということで。

通信-13年11月24日

Tuesday, November 26, 2013, 12:11
(2013.11.24 am7:30) 

わたしが やしろに
たたかい やしろを
もうける ということは
えんえんと つづく
たたかいを
その み やしろに
おきかえる ということ
なのです
たたかいは かこくであり
そのみを やきつくさんと
するばかり なのでしょう
その み やしろが
しんぱんの うつわであることは
もう すでに おつたえずみの
ことでは ありますが
たたかい やきつくすことの
いみを しらぬものに とっては
すみかとなり (棲み家?)
そのやどぬし たるものとして
そんざいを しつづけようと
することでしょう
いながきを おいて
それらの しんにゅうを
はばもうとしても
それらのいとするものは
ぶっしつをこえ にくたいをこえ
あなたがたの いしきのりょういきに
はいりこみ すみかを(棲み家)えようと
することでしょう
やきつくすことの いみをしらないものは
いばしょを あたえることに なるからです
うちなるものが 欲する 動機と
よそから 入ってこようとするものの
欲する 動機 が おなじものと
なったとき
いばしょを ほっするものと
いばしょを あたえるものとが
同盟を 組むことに なるからです
自ら以外に 価値のある何か
というものを すうはいする ということは
それらのものに 居場所を
自らが かいほうし 与えているということです
乗り物や 操り人形のように
頭のなかで しゃべり 指示をするものが
その人間存在の 所有者になり
ああしろ、こうしろ、と言って
宿主たる にんげんに 指示をしはじめます
その 指示どおりに うごくことが
天の意であると 信じて
たにんを 教導し
破滅に 導いた にんげんの
どれほどまでに 多いことなのか
あなたがたが それらのレベルに
達するということは
それらの危険性をも はらんでいる
ということなのです
人間として その人間性を成長させた
ものであるならば
何が正しく、何が誤っているのかを
考え 判断することは 可能なはずであり
頭の中でしゃべる 自らにあらざるものの言う事を
真に受け それが あたかも真実であるかのように
たにんに言い伝えるものとは
一体 何ものなのでしょうか
無意識領域のなかで、
たにんを支配し 自らの手のうちに置きたいと
願うものは
そうやって 自らの意識領域を かいほうし
自らにあらざるものに 居場所を提供することに
なるのです
その アタマの中に居座るもの とは
はたして 正しいもの なのでしょうか
ほんらい 正しきもの とは 指示せず
干渉 することも ないものであり
レベルの低くエネルギーの強いものほど
そのみの しゅじんとして
たにんをも しはいをしようと するもの
であることに 気が付かないかぎり
あやまった 教導者として
その人生の みちを 誤り続けることに
なるのでしょう
うちなる存在のなかで
それらの 意識領域を 専有しようとするものを
焼き尽くしてしまわない 限り
自らが 住まいを 提供している という状況で
あることに 気がつくことは ないのでしょう
過去の宗教者が 犯した あやまちを
繰り返すのですか ということが 問われることに
なるから なのです
能力が たかまる ということは
その能力を どのような目的に 使おうとするのかによって
道を誤まり 戻って来ることの出来ない領域へと
踏み込むことになる 可能性があることを
知っておかなければ なりません
こたえは 予め 置かれています
見なかった 知らなかったという 言い訳をすることも
自由です ですが
何の目的を持って能力を使おうとしたのかが
決定的に 問われます
自らの存在以外に 尊いと思えるものに
その人間存在の居場所を与えるということが
意図するものが 何なのかを 知らない限り
しんぱんの うつわ として
やきすてる ということは
むずかしいものと なることでしょう
やきすて しまつをする ということに
躊躇があって 居場所を与え続けていることが
自らであることに 気が付かない限り
ほんらいのじぶんに あらざるものが 意識領域の
ご主人さまに なる ということなのです
あたまのなかで しゃべるものが
価値あるものである という 認識を持った瞬間に
ご主人さまが すり替わる ということを
言い続けて いるのです
人間としての自意識が 正しいものであるならば
自らにあらざるものの存在の言う事を
聞く必要もなければ その指示を真に受けることの
おろかさに 気が付くはずです
過去の宗教家 というものは
そうやって 自らにあらざるものによって
“つかわれて” きました
体(てい)のよい 乗り物 とは そういうことだからです
しんぱんのうつわ として
焼き捨てることの 意味を もういちど
よく 考えてみて下さい。
にんげんは、神たるものの 器にも なりえ、
悪魔たるものの 器にも なりえる ということを知り
それらのものを分離して 処分をするということを
常に意識をしておかない 限り
乗っ取られることになる、と、お伝えをしているのです
こたえは予め置かれていることの意味を お考え下さい

2013アーカイブ-1110-0911

通信-13年11月10日
Wednesday, November 13, 2013, 12:40
(2013.11.10 pm8:55) 

世の中には、
1伝えて、10理解する人間と、
10、や、100伝えても、1しか理解することが
出来ない人間が、存在をしている、
それらの人間が共存をするなかで、
能力のある人間は、
無い人間を補佐し、
有るものが、無いものに対して、
サポートを、する、ということ。

通信-13年11月10日

Wednesday, November 13, 2013, 12:40
(2013.11.10 pm8:55) 

世の中には、
1伝えて、10理解する人間と、
10、や、100伝えても、1しか理解することが
出来ない人間が、存在をしている、
それらの人間が共存をするなかで、
能力のある人間は、
無い人間を補佐し、
有るものが、無いものに対して、
サポートを、する、ということ。
そういった、お互いがお互いを助け合う
互助精神といったものが、
これからの、この世界で、
必要なものとなります。それは、
有るものが、無いものを助け、
それぞれが 不平等のないように、
お互いを助け合う、という精神です。
あなたがたが 皆、
その考え方の根本に、則っていたならば
この世も、この地球全体も、
明らかにその様相を変えるものと
なることでしょう。
ひとつのものが、全体を奪うのではなく、
持つものが、持たないもののために
分け合うという その精神が、
この地球の有り様を変えることに
なるから なのです。
耳の有る者は、聞きなさい、と、
伝えられ続けてきた、この二千年の
地球の歴史が終わり、
新しい歴史をつくり出すものへと
受け継がれてゆくことの意味を、
お考えになられたことが、
あるのでしょうか、
全ての人類に対する告知は既に成(為)され、
それを、この地球上で生きる全ての
人間が、約束を履行することの意味を
問われる時期が訪れます
“あなた方に残された時間は短い”
と、お伝え続けてきたことの意味を、
よく、考えてみて下さい。
今回が最後のチャンスであったとしたら、
あなたは、何をする為に、
わざわざ この世に 生まれてきたもの
なのでしょう。
わたしにこれを、やらせて下さいと、
宣言をし、立候補をする人間の、
(あまりに)どれだけ 少ないことなのか。
それが、予め、伝えられてきたことの
立証であり、実証であることの 証明を
現実のこの世で証しを
させられている、ということなのでしょう
見たいものしか見たくはない、人間
というものと、
見たくもないものばかり見させられる
ことになる人間というものの
現実のこの世における温度差というものが、
“分けられる、” あるいは、
“分かれてゆくものとなる” という
ことの証左となってゆく
ことなのでしょう、
あなた方に残された時間は少ない、と、
お伝えをし続けていることの意味を
知るものであるのなら、
何を、するべきなのか、 あるいは
何が、必要とされているのかを
考えるだけの脳(能)力を 持っているはずの
ものであるということに、気が付きませんか、
“わたしに、これを、やらせて下さい。” と、
自己申告をするものの数の、
どれだけ少ないことなのか。
意志と志(こころざし)を、あらわにし、
宣言をするということの意味を、よく
お考え頂きたく、ご連絡を致します。

通信-13年10月29日

Monday, November 11, 2013, 12:48
(2013.10.29 pm8:57) 

この国は、西欧列強の奴隷です。
その事、その事実に気付かせないような
洗脳が、幾度にも渡り、成されて来ました。
自らの主人が何ものであったのかを
冷静に自らの頭で考え、
これまでのこのクニの時代背景というものを
同時に考えながら
このクニの成り立ちについて考えない限り、
閉ざされた塀の中にいることと
同じことなのです。
果たして教えてもらったこのクニの歴史というものが
正しいものであったのかどうか、
そのことについて疑問すら抱かせないような仕組みが
もしも周到に成されていたのだとしたら、
何が正しくて、何が誤りなのかを、
冷静に判断をすることが出来るのですかと、
問うて、問われているのです。
あなたがたの脳裏に、既に、焼き付けられた
このクニの歴史の事実と言われ続けているものが、
ある立場の人間にとって都合が良くなるよう
予め、操作が成されているものであったとしたら
どうされますか、
知って見て見ぬ振りをされるのですか
それとも その事実を黙認し、
見無かったことなされますか、
どちらを取っても同じことであることに
気が付きませんか
いつの時代においても、情報操作は、なされ、
知ったもの達が後世の方々に伝えなければならないという
使命感のもとに動くものであるのか どうか、
あるいは、不特定多数の 大勢のその他の方達と共に
何も見なかった、知らなかったという、
言い訳を言い続けていたいのですかということが
問われているということです。
自分の、頭で考え、
自分の、頭で判断し、
自分の、自身による行動を起こせないものが、
他人のことをとやかく言う権利など、
無いはずです。
他人のあらを見つけて、糾弾している
ヒマがあるのなら、
ご自身の改善すべき点に目を向けるべきとは思うのですが、
いかがですか。
自らが正しい人間であると思い続けていたい人ほど
他人のあら探しをし、それを追求したがる方である、
と、お伝えしておくことにします。
他者をひきずり落とすことで、ご満悦である
という偽善のもとになっているものとは、
一体何なのでしょうか、
それがあなたの意識の主体となっている時に、
何ものが、あなたの口を使って、言葉をしゃべって
いるのでしょうか、
そのことを冷静に考えれば、“つかわれるもの”と
お伝えしているものの正体が、分かるはずです、
以上です。

通信-13年9月27日

Monday, September 30, 2013, 11:33
(2013.9.27 pm1:55) 

私は、この世に、この世界に、
正しき世が訪れることを、ずっと
待ち望んできていました。
新しい、世、とは、ひとりひとりのにんげんが、
正しき目的のために、ひとりひとりが自らの意志を
あらわして、同じ志(こころざし)を持つものと共に、
働(はたら)く、という世界のことです。
誰かれの欲や 利害関係の介在しない、
ともに正しき目的のために はたらく、という
世界観です。
この新しき世の姿をあらわす(顕す)のが、
このクニがヒノモトと言われる所以(ゆえん)
なのです。
ヒ(日)は ひとびとを明るく照らし、
少しでも あかるき未来のために 希望を持つことの
大切さを、ひとびとに 知らしめることと、なるでしょう
あなたがたに託されているのは
そういった 正しき未来を 自らがつくり出してゆくことの
大切さを 次の(継ぎの)世代のかた達に
伝えてゆく、という 大事な お仕事です。
このクニの、この地球の 未来を
明るくするのも 暗くするのも 自分達のはたらき次第
ということに気が付いたなら
自分が自分の成すべき はたらき というものを
見つけ出してゆくことが 出来るのかも しれません
世の中の様相を 明るくするのも 暗くするのも
自分次第 ということに気付いたならば、
どういった おこないや行動 というものが
周囲を 明るく きれいにすることが出来るのかを
考えることが 出来るはずです
地球は 出会いと 学びの場
と 伝えられていることの意味を 理解することが
出来るのなら
人との出会いや 行動を共にすることが
自ら自身への学びであることに
気が付くことが できるはずです
汚れている場所は 掃除をすれば きれいになり
暗い場所には 灯り(明かり)をともせば すむはずです
あなたがたが、その あかり と なりなさい、
という とても シンプルな 解答が
見えては こないでしょうか
それが あなた方に 託された
だいじな おしごとです。
次(継ぎ)の世代のかた達に、伝えてゆくことの
大切さに 気が付いたなら
あなたは 受け取ったものを 軽くして
お返しすることの出来るかた なのでしょう
それが、伝えたかったこと です。

通信-13年9月11日

Wednesday, September 11, 2013, 12:42
(2013.9.11 am10:30) 

人間が、“○○の神”と呼び、
あがめていたもの、そのもの
それ自体が問題であり、
それらのものは、光と闇の合体物に過ぎない。
“天(あめ)降ってきたもの”と呼ばれ続けてきた
意識体のなかには
人々を支配し、その支配者としての立場に
君臨し続けることを望み、
永遠にそのシステムを構築し続けたい(よう)と
するものが数多く存在している(あるいは、していた※)
それらの、オセロの駒のような、裏表(あるいは白黒)
併(あわ)せ持つ、その仕組みを、
その全体像を、
外部から、あるいは、フカン的に
外側から見ることが出来ない限り、
人間は、その(人工的な、あるいは、つくり上げられた)システムの全体像を
理解することは出来ない、
自らに恩恵をもたらしてくれると
人間が信じたがってきた(いた)ものの
正体を知ることが出来ない限り
システムの内部に取り込まれたものであることに
気が付くことは難しい、
ということである、
人が、既に、神というものを超えた存在で
あることに 意識をシフトすることが
出来ない限り、
小さな小箱の中に閉じ込められたものを
解放(開放?)することは
とても難しいということである、
様々な過程と、それに伴なう学びがあって、
(あったからこそ)到達できることの出来る領域があり、
苦難や艱難を経験したものでしか
乗り越えることの出来ない、大きな山がある、
それを知り、それでも前へ進むのか、
あるいは、それらを避けるための言い訳を
考え続け、冷たい水の中へと足を踏み入れる
ことを、拒み続けていたいのか、否か。
それらを、あなた方が自らの意志で選択をしなさい、
ということである、つまり、結論を選び取るのは
自ら自身の判断と決断以外の何ものでもない、
ということである、    以上。

2013アーカイブ-0811-0620

通信-13年8月11日
Wednesday, September 11, 2013, 12:41
(2013.8.11 pm2:) 

生きて体を持つ間に
お会い出来たことに感謝をし、
そして、
これまでの、このものの行ないに対して、
深く、陳謝を申し上げる、
先々のことに関して、まず、
深く御礼を申し上げる、

通信-13年8月11日

Wednesday, September 11, 2013, 12:41
(2013.8.11 pm2:) 

生きて体を持つ間に
お会い出来たことに感謝をし、
そして、
これまでの、このものの行ないに対して、
深く、陳謝を申し上げる、
先々のことに関して、まず、
深く御礼を申し上げる、
気付かない振りをし続けることに対して、
そろそろ時間の限界を感じて来たので、
まず、詫びを申し上げ、
そして、今後の事に関する、意思表示を
しておくべきであることに異議は、なし、と
判断をし、このものに申し伝えておく、
生きたまま、業火に晒され続けるのか、
あるいは、否、お役目、果たせず
このまま追放と、なりぬるのか、
そのことを、しかと、認識をし、決断をする
時期(機?)が、そろそろ近づいてきた、ようであり、
果たせぬままに去りぬるものとなるための選択肢というものは、
甚だしくも、用意は、されておらぬ。
この世(代)における、身をも心(芯)をも尽くして、
闘うべき、このとき(時、際、刻)に、…

——————————————
(※思いのたけが延々と続きそうでしたので、
ここで切りました。)

通信-13年8月7日

Wednesday, September 11, 2013, 12:39
(2013.8.7 pm8:55) 

私は あらかじめ この知識が
いずれ もたらされることを知っており、
そして、わざわざこの時期を選んで
生まれて来たものです。
この世における、起こる事象や、その他、出来事などを、
あらかじめ知らされており、それらのことを
全て承知の上で、今、この時期に、
生まれ出でて来た、ものです、
ひとごころにおいて、自分自身で判断の
出来るものではなく、
ただ、ある種の目的性と方向性というもの
だけを携えて、今、この時期に、
産まれ、出(い)でて来たものです、
神の意識というものが、肉体を持つ人身に
どのような影響を与えるのかを、
あらかじめ知らされていて、そして、その
本来あるべき目的というものに到達するために、
長い時間をかけて用意をしてまいりました、
人間としての自意識というものではなく、
ある種の、人に影響を与え得るものとしての
存在として、今、この時まで、存在をして参りました。
すべてのお話は、ある方向性と目的性というものを持って存在をしており、
人としての肉体を持つものは、その役割を担い、
存在をしているものに過ぎないということは、
予め知らされており、
認識をしているつもりで、ありました。
予め知らされていたことは、
それを検証するだけの事象として、現実のものとして
この世に顕されているだけのことに過ぎない
ということを知り、
そして、いつか人類は、このことを自ら自身で
知ることになる、ということを、
ある存在の側から、身体を持つ、人としての人間存在へと伝えられたというだけの
お話に過ぎません、
早く、そのことに気付いたものは、いち早く、
人の子としての新しい人生を歩むことになるのでしょう、
それらの経緯は、あとから来られた方達ほど、
いと早く、短い期間のうちに学ばれ、そして
到達することが出来る領域であるのでしょう、
ひとからひとへと伝えられる物語は、
簡単なようでいて複雑でもあり、
焦り、気をもんで急ごうとするものほど時間がかかり、
自意識で、認識をしていないものほど、
早く(速く)に到達をするものなのでしょう、
いくら時間をかけても、あるいは、それらのことを
欲していても、今生において、それを得ることが
出来ることがないと印(しる)されているものには、
次へと、まわされ、
当人がたとえそれを望んでいなくとも、今の世において
成すべきであるという印(しるし)がなされているものには、
その、お役目が与えられる、ということであり、
これまでの何億年にもわたる地球の物語を、
担うことが出来ると判断されたものには、
それ相応の役割が担わされる、という
ことなのであり、それらのことは、誰かが
決めることなのではなく、予め、ご当人の魂に
プログラムが書き込まれている、という、お話であり、
物語として用意が成されているというだけの
話でしかない、というだけのことである、
到達するまでの期間や、その他のプログラムは、
予め、その個体の魂への、書き込みが成されているというだけのお話に過ぎない、
その他の他者との比較ということの不毛さに
気付いたならば、自身の魂のプログラムと呼ばれて
いるものに、始めて向き合うことが出来るのかもしれない。
それらの一連のお話と、ストーリーというものに、
気が付くことが出来るのならば、はじめて、物語の
方向性というものが、認識することが出来るのかもしれません、
それが、このちの用意、ということなのでしょう。
                  ~pm9:23

通信-13年6月27日

Friday, June 28, 2013, 14:36
(2013.6.27 pm6:25)

群れて、
仲良しお友達グループの 関係を
続けている限り、
ひとりひとりの人間が、
自分の役割に気が付くことは
難しくなる。
ひとりひとりの人間が、
自分の頭で考え続け、
何をするために この世に生まれてきたのかが
分からなければ
その生を終えるときに
後悔をすることになる
横のつながりを持ち続けようとすることが、
自分自身の歩みの速度を落とし、
明確な目標と、目的地へ到達することの
意味と意義という シンプルな論点を
見えないものと してしまうことに気が付かなければ、
正しい目的のために はたらく、という
ことについての 解答を導き出すことは
とても 難しいものとなります
世の中に出て、はたらくということが
人と接することによって 自分自身への学びとなり
それらの経緯を経たのちに
自らの生まれてきた意味と、目標とするもの、
それに付随した到達点というものを
自らが 自ら自身で発見することが出来る、
ということを お伝えし続けているのです
いと 小さきものとなり
扉を閉めて ひとりで祈りなさいということの
意味が分かったなら
ひとりで学び 判断をして 行動をするということの
重要さに
気が付くことが出来るはずです
向かう先を、決めておくということが、
ご自身の人生の方向性を定めることにつながります
それを 決定付けておくことが、
中心軸のぶれない状態へとつながります
それが あなた方にとっての最短ルートであり、
その人生を 生き抜く上での 道しるべであることに
気が付いたなら
これから 先の人生において、指針となるものが
何なのかを 認識することが 出来るはずです
それが、こたえ、なのではないでしょうか

ご伝言-13年6月26日

Thursday, June 27, 2013, 14:12
(2013.6.26 pm8:30)

『精神学』 とは、
人間精神を、
学びの対象とした、
唯一の学の門です。
自らが、エントリーをした、
その意味と理由を、
今いちど、
お考え下さい。

通信-13年6月20日

Thursday, June 20, 2013, 18:22
(2013.6.20 pm3:30)

物に依存をすると
それが無いと不安な状況に陥る。
頼るということが その人間の杖となり
その杖が無くなると 不安と恐怖で、身じろぎも
出来ない という状況下に
陥る
何かにすがり 助けてもらおうとするルールの中で
生きている限り 物であれ 人であれ
依存をすることでしか 生きてゆけない
根無し草のようなものとして
生きてゆくこととなる
あやふやで不確かなものが
その人間存在の象徴として存在の基盤を
持ち続けている限り
自己の正しき認識、正しき判断、
行ない、行動といったものとは無縁の、
何かに すがり付くような生き方しか出来ないもの
として その場に浮遊をし続ける、
ということである、
何かの助けとしての補助的なものとして捉えるのか、
それとも、そのものに助けてもらおうとして
すがり付くのか
自らの救い主は 自ら自身であると、
予め 伝え続けられていることの主旨は
淘汰され、
自分を救ってくれるものを 永遠に求め続けることの
不毛さに 気付くことが出来ない限り
人として 自己の人生に責任を持ち
判断と行動を共にして
この先 生きてゆくということの理解をせずに
不毛な 残り時間を過ごすという選択をするものに
次のチャンスというものは 無いということを、
伝えておかなければ ならないのでしょうか、
自身の救い主は、ご自分自身です
そのことに 気が付いた方から
次のステージへの扉は用意がなされているのでしょう
見えない何ものかの恩恵を得ようと
すがり続けている限り
自己の状況を 冷静に客観的に見ることは
難しくなります
ひとりひとりの 成長の速度は
ひとによって異なり、
遅いということを危惧して
焦る必要など どこにもないのです
ただ、自らが向かう方向性を
自身で正しく位置付けておかないと
迷路の中で自身を見失うといった状況が
起こり得るのかも しれません
物ごとの動機付けというものを 明確に
認識を しておかないと、
到達点を 決めることさえ出来なくなります。
そのことを頭に置いて、行動をして下さい。

2013アーカイブ-0602-0411

通信-13年6月2日
Tuesday, June 4, 2013, 16:07
(2013.6.2 pm6:45)

子供のころから
自分の人間性を殺されて
生きなければならない、
というのは、
とても苛酷なことです。
そうなると、
たましいは逃げてしまい、
その人の人間存在が
お留守の状態になります

通信-13年6月2日

Tuesday, June 4, 2013, 16:07
(2013.6.2 pm6:45)

子供のころから
自分の人間性を殺されて
生きなければならない、
というのは、
とても苛酷なことです。
そうなると、
たましいは逃げてしまい、
その人の人間存在が
お留守の状態になります
お留守の状態になると
よそから入ってきた別なものが
あたかも、その肉体の主人であるかのように
振る舞います
それは とても 大変なことであり、
重大な問題でもあることです
あなたが、
あなたの人生をまっとうするために、
成すべきこととは、
一体、何だったのでしょうか、
それが、よそから入って来たものの
影響を受け続けると
見えなくなって しまいます
“これを、するために、
 生まれて、来たんだよね。”
という、本来の たましいのプログラムから
入って来た別なものの影響を受けた
違ったプログラムへと
書き換えられて、しまいます。
それほど、不幸で悲しいことは、
ありません
自分が、自分自身であるため、
あなたが、あなたであるため と、
お伝えをしていることの意味を
きちんと理解と認識をすることが
出来るのなら、
本来の、まっとうするべき正しき人生
というものに、きちんと照準を
合わせるために、
精神学の学びがあることに
どうか
気が付いて下さい
それぞれの違った目的と方向性
というものが、
もし、明確に認識をすることが
出来たのなら、
それが、1人1人の違った人生の
生き方を、見つけた、
ということ、なのでしょう。
あなたは あなたが好きだった
自分の得意なことを すればいい
やりたくもないことを
無理に続ける必要など
ないのです、
それが収益につながるのか
つながらないのか、ということを
危惧する前に、
徹底的に、とことん
つきつめるまで努力をして
やり尽くしたのですか、
どうですか
やりたかったことを
やり尽くすことが 出来たのなら
あなたはあなたが
これであると 判断をして
つき詰めたところまで
努力をし尽くすということを
やり遂げることが
出来たかたなのでしょう
それらのことを
やり終えた方には
悔いも後悔というものも
存在すら していないはずです
思いを残さず に
この世を 去る ということの意味を
理解された方 には
次の たましいの 成長のステージが
用意が なされている はずです
磨き、炉にくべて 精錬をし、
不純物を焼き捨てた
たましい というものが、
どのようなものであるのかを
想像を(創造を?)
してみてください
それらは とても
自らの たましいのプログラムに対して
忠実であり、誠実で、
あるはずです、
進化の方向性に対して、
ウソをつかない、とは、
そのようなことなのです
ご理解をして いただけましたでしょうか

通信-13年5月19日

Monday, May 20, 2013, 11:24
(2013.5.19 am9:50)

ひとは ひと、
自分は 自分、
くらべない。
自分が何をするために
わざわざ この時を選んで
生れてきたのかが 分かるなら
他人と自分を くらべることの
あさはかさに
気が付くはずです
自分にないものを
持つもののことを妬み、
その思いを 相手に向けるということで
奪おうとすることは
正しいことでは ないはずです
自分が何をするために 生まれ
そして、どのように 生きてゆくのかを
決めるのは自分自身です
「自分は これをするために
 生まれてきたのだ、」という
認識を持つことが出来るなら
他人と自分を わざわざくらべて
持つものから 奪おうという 意識など
生まれようが ないはずです
あなたが あなたであるため、
と、
伝えることの意味が理解することが
出来るなら
他人と 自分を比べようとする
意識など 生まれようが ないはずです
自らの存在の目的と、
その存在の意味について考えたとき、
自分の人生の目的は これである、
という明確なこたえを見つけることが
出来るなら
あなたは 受け取ったものを
正しい目的のために
使うことが 出来るもの、なのでしょう
それらの目的と方向性は
ひとりひとりの人間だけではなく
この地球の存在の目的にも
言えることなのです
“出会いと学びの場”と
お伝えしていることの意味を 理解することが
出来るのなら、征服と略奪のために
繰り広げられた このちの歴史を学び、
本来の目的のために お返しすることの
必要性と意味を 知り得ることが
出来るはずです
地球の主人は 人間ではありません
支配し 征服し侵略をするという
その行動原理のなかで 生きている限り
受け取ったものを軽くして
お返しする、という本来の目的とは
かけ離れた場で 生きてゆくものと
なることに 気が付いて下さい、
今が時代の転換点であることに
気が付くことが出来るなら、
本来の目的のために 地球を返すという
ことの意味と、
ひとりひとりの人間が
知り、担うということの意味と目的が
同じことであることに
気が付くはずです、
自らの人生の目的と方向性は、
このちの存在の目的と方向性にも
リンクをしています
人と人が妬み合い 殺し合いをし
略奪をすること と、
土地を占有し所有し 自らのものであると
主張をし 自らの正当性を声高に叫ぶもの、
それらの歴史を経てきた この地球上で、
あなた方は 何を学び
そして どのような認識を 持ちますか
誰かが何かを はじめることを、待ち、
傍観者として 見ているだけですか
それとも 自らが 決断をし 行動を
し始めますか
時代の変わり目である という
このちの変化を察知することが出来るなら
なぜ わざわざ この時代の このちを 選び
生れてきたのか、というシンプルな問いに対する
解答を見つけ出すことができるのかもしれません
何故なら、そのこたえは
あなた自身のなかにしか、ないから、(ないため)だからです

通信-13年4月11日

Thursday, April 11, 2013, 14:25
(2013.4.11 pm1:14)

パブ(バプ)テスマの序曲(?)
因縁対決は もう終わりにしたまえ
いくら言い聞かせても わからぬものに
伝え続けることの不毛さに
気が付かないと
それだけで 人生を終えることになることに
いい加減に気が付かれては
いかがかな
見えないものを 見えると 言いたいものが
いくらでも近寄ってくることに
気が付かないと
一生を無駄に過ごすことに なります
残されている時間をどのように使うのかは
各々個人の裁量(宰領?)に委ねられている
見たくないものを 見る、 ということと
見えない世界に興味を持つことは
同じことのようですが
全く別のことなのです
知りたいことを 知るということと
知るということは 担うということ の
意味の違いについて
お考えになられては いかがでしょうか
見えないものの世界に興味を持つということは
知り、担うだけの能力がないと
引き込まれます
見える、見えない、ということに こだわって、
躍起になって その能力を手に入れようと
努力をしても
あなたが得たいと思っている
その千里眼というものは
正しい目的を持っている方でないと
与えられることは ないのです
超能力者になりたい方は
この世に五万と(?)存在しますが
その能力のほとんどは、魔力と呼ばれているものです
なぜなら その能力は
聞きたいこと 見たいことだけを
実現化させようとする
利己的なものでしか、ないからです
人のために 使う、と言いながら
自己満足(瞞足?←欺瞞の瞞)を 手に入れようとする
方向性を持つもの だからです。
ほんとうに 正しきもの、とは
他人の負荷を もらい受けて
その方の負担を 減らしてあげることのできるもの、
の、ことです
指令を出して、物事を自分の思った通りに
動かそうとする ちから、とは
既に学んだはずの 魔界のちからでしか、
ありません
普通の人間は、そういった能力を
手に入れたいと思い、願っています
精神学が伝え続けていることは
それとは対極の立場にあります。
そのことに気が付いた その時が、
目が覚めた、
ということなのでしょう。
                  (以上、終わり。)

2013アーカイブ-0306-0116

通信-13年3月6日
Wednesday, March 6, 2013, 12:44
(2013.3.6 am10:)

スピリチュアルなものに興味を持って、
あちこちに出掛けるのは ご自由ですが
行った先で 何をもらってきたとしても、
それを処理するのは
出掛けたご当人の責任です。
処理する能力もないものが、
寝た子を起こして どうするつもり
なのですか

通信-13年3月6日

Wednesday, March 6, 2013, 12:44
(2013.3.6 am10:)

スピリチュアルなものに興味を持って、
あちこちに出掛けるのは ご自由ですが
行った先で 何をもらってきたとしても、
それを処理するのは
出掛けたご当人の責任です。
処理する能力もないものが、
寝た子を起こして どうするつもり
なのですか
スピリチュアルなものに興味を持つと、
引き込まれ、とり憑かれたものに
意識を操作されます、
それらの危険性について
学んだ「はず」のものが、
何の準備も用意もせずに
安易に出掛けて
ミイラ取りが ミイラになって
帰って来る、ということなのです、
自身の健全な意識を持って
人間社会で仕事をし、はたらくということを、
あれほどまでに伝えてきたことの意味が
 伝わっているのでしょうか
 いないのでしょうか
ひととしての人生(正)をまっとうする、という
具体的な、生きる目的を 持たないままに
あやふやな状態で、スピリチュアルに
興味を持つと、
乗っ取られ、操作をされます。
そのご自身の 原因があって、
結果としての状況が
引き起こされるのです。
自己責任を持つことの意味を知るものは、
自らが負う責任の重さを
知るもののことであり、
生半可な軽い気持ちで手を出すと
痛い目に遭う、ということなのです。
ご理解をしていただけましたでしょうか。

多くの宗教者達が犯してきた失敗を
学ばされているという事実に
気付くことが出来ない限り
同じ過(あやま)ちを くり返す、
ということなのです
気を付けて下さい、

通信-13年3月1日

Friday, March 1, 2013, 13:00
(2013.3.1 am10:30受)

“自分が悔い改めて、
 問題を解決するために
 努力をすればよいだけの話であって、
 永遠の被害者の層に留まり続ける限り、
 その層から脱することは
 出来ないということである。”
                 (以上)

ご伝言-13年2月20日

Thursday, February 21, 2013, 16:52
※ご伝言のようなものが届きました

(2013.2.20 pm9:40)

あなた方は、これから先、
何をして人の世で、その身をもって
顕していくものなのですか、
①判断し、
②行動し、
③実践してゆく こと、
 それを、結果として結び付けるために、
どのように、行動をするのですか、
ということが問われます。

ご伝言-13年2月15日

Thursday, February 21, 2013, 16:50
※ご伝言のようなものが届きました

(2013.2.15 pm10:48)

『依存をしてくる方ほど、
  試練が大きい。』
なぜならば、
“神様が何とかしてくださる”、
 という思い(おもい)を、
いつまでたっても捨て切ることが
出来ない人々だからである。
———————————————–
※(結論)
“あなた方が、自らの意志のもとに、
 はたらけ。” ということであるから。
(それらの告知は、既に、なされているものである。)

通信-13年1月27日

Monday, January 28, 2013, 17:57
(2013.1.27 pm0:48受)

あいた とびらの よのをとは
ちかづきし ひの よあけとともに
みちびきを あたへたまひし
よのひかり
ただす よの ひかりを ひかしめたまひ
みちびき たまひ
あけて くるひは ひかりのよ
くるへし みたまの もとを ただし
たまへり ひかりの よ
をとの おん こはね のを(ね?)に
ひびき たまへり
かしこみて
かんなびし このよ
くるへる みたまを みちびき
たまへ
とおのきし ひの たまの きほ(お)く
かがやけし ひの きほ(お)くと ともに
まちわびし もの
たまわりし この おん の たま
こえきく もの ともに
うちいでて みたまへの おと
つたへたまわりし
たまわりし
まだ みぬ よの おこり
したまへり したまへり
くるひし よの おさめ みおさめ
たまひて もんと あけ
あけ たまへ もんと あけ たまへ
つるぎの よと なりて
けん もち みを けんと したまへ
みを けんと したまへ し
かくなる みを きお(よ)めつけたまひて
とおとき その よの おこりを
まちし たもふ
けん もちて
みを(ほ) けんと したまへり
そのみを けんと して
あらはし たまへ
あらはし たまへ
つるぎ けん まひし
し たもふて
みん に そのことはりほ(を)
あらはし たまへり
あらはし たまへり

通信-13年1月16日

Wednesday, January 16, 2013, 17:26
(2013.1.16 am10:00受)

進化をしたいのか、
退廃をしたいのか、
その、どちらかを
選べ、決めよ、
ということである
進化をしたいもの、とは、
他者の言いなりになることを選ばず
自らの頭で考え、判断をし、
行動をすることの出来るもののことであり、
何ものかの支配下に
自らの立場を置かないもののことである
進化の道すじには様々な困難が用意され、
その障害物を正しい方法で乗り越えた
もののみに、次の進路は用意が
なされている、ということである、
自らの傲慢な言い訳により、
その、眼前に用意をされた障害物を、
非難し、罵り、誹謗をしたところで、
何の解決策にもならないことぐらい、
まだ、理解をすることが
出来ないのですか
何ものかに意識を支配され
コントロールをされて
そのものの意向を体現させられる
ということの不毛さに
気が付くことが出来ないのであれば、
三角の形を象徴としてあらわす
その傘下のもと(下、元)に、置かれ続けるという事を
お伝えしなければ ならないのかもしれません、
傘の下にいる、ということは、その傘の中の
様子しか見えない、ということです、
(イラスト→https://www.godbrain.com/about-shinlogy.html/より引用)

“闇は光の推進力である”
と、伝えていることの 本当の意味を
理解することが 出来たなら
あなたがたの その存在のうちに
光と闇を分離することが出来ることの意味を
知り得ることが 出来るのでしょう
その全体像を理解し
把握することが 出来たなら
次のステージへと進むことが
可能であるのかもしれません

見えても見えず 聞こえても聞こえない
の、その先には
多くの試練が待っているのと同様に
その先に進むための道
というものが あり
自らの足で踏み出すことが無い限り
道は切り開かれることは
ないのです
そのための 学びとして置かれ
用意されているもの とは
自分自身の 克服するべき
問題点であることに 気が付いたなら
次のステージへと 足を進めることが
出来るのでしょう
踏み出す覚悟と 勇気というものが
どのような場面にも 用意がなされ
試されます
自ら自身に 課され 試され、
そして選択を迫られることに
なるのでしょう
進化の道すじを踏みますか
踏みませんか
それが 試される、ということです
以上です、