たましいの波動は神界由来。(再掲)

すくなくとも、いま生きている人間のたましいは、神や神々のワケミタマということになっています。ただし、それは、日本人のたましいの話で、一神教の世界では、日本でいうところの天神地祇の地の神格はその土地の古来のものですが、天神に当たるのが、その宗教が神としているものなのか、古来から伝えられている神格なのかは人によって異なる可能性があります。残念ながら、一神教の神が、人間にワケミタマを配ったというデータを私は知りません。つまり、一神教の神というものは、この地球の神と人間の関係を知らないものということになります。日本人のたましいは、天という座にあるものと、地の上に座を持つものとの合体物なので、人間存在は、はじめから神の所有物ではないのです。その立場からではなく、全知全能の神の一神教が世界宗教を目指したのは、多くの人間が信じることで、その神の分霊というかワケミタマが配分されるはずだと考えたからです。私が知る限り、これは地球の神界のたましいを管轄する存在の承認は得られなかったのです。ただし、その神のテーマを投影するだけの人間という容器は用意されました。そして、現行の地球上の人間の中に、一神教の神のエネルギーは、すでに投入されています。つまり、人間のたましいの量に対応した意識エネルギー体が、自分は神だと信じたのです。

日本人のたましいのもとが…。(再掲)

いまの日本列島上に生きている人間のたましいは、基本的に千九百九十一年の前に生まれた、古い神々のワケミタマと、その後に生まれた新世代の神々のワケミタマという新旧のものがあります。まあ、わかりやすくいうと宗教の時代のデータが入ったたましいと、ポスト宗教のデータが入ったたましいということになります。さらに、古い時代の人間のたましいのもとには、宗教的対立の時代の記憶を持ったスピリチュアルなデータが含まれています。これがいまの日本国が、救いのない国になっている理由です。日本の神や神々は、日本人のもとです。つまり、日本人がナイーブなのは、そのたましいのもとも、ナイーブだったからなのです。そこに西欧文明が入り、一神教の歴史の背後にある、邪悪な思いのエネルギーに、日本人が汚染しても、それを清めたり、祓ったりすることは、神にも神々にもできなかったのです。その歴史の負債をたましいにかかえた人々がたくさん生きています。その結果が、いまの日本の姿です。ただし、精神学と共に歩んだ、新世代の神や神々には、一神教の悪魔を祓うノウハウが伝えられています。もちろん、それを実行するためには、精神学を学んだ人間が必要なのですが、神格としてのハライをする神々は健在ですし、それを実行できる容器としての人間の用意も整っているはずなのです。

出発点は、自由、平等、博愛という嘘。(再掲)

いまの世界を支配しているように見えるアメリカ合衆国をつくった人間グループは、ヨーロッパで宗教的に迫害されたものたちでした。キリスト教の新教とも呼べるプロテスタントという呼び名のもとは、プロテスト、つまり、抗議するというところにあります。神を求めるものは、新世界への旅に出て、神に絶望したものたちは、教会の支配、さらには神と教会の権威によって土地と人間を自分たちの所有物として扱う王権というものからの解放を目指します。そこから、フランス革命が生じ、アメリカの独立とフランス革命の精神的なつながりがあって、ニューヨークには、フランスから贈られた自由の女神が立っているのです。歴史のある時まで、教会や王権のマネーの管理者に過ぎなかった、金利をビジネスとしてすることを例外的に認められた、国際金融資本家というものが、この世の支配者であることを実現するために、つくり出した幻想のひとつが、実は、自由、平等、博愛という言葉だったのです。そのことを、日本人や日本の神や神々が理解するために、明治維新から今日までの時間が必要だったといってもいいのです。西欧近代の出発点にある概念は無神論者のものだということです。

共産主義というイデオロギーの正体。(再掲)

この日本列島には、いまでも、共産主義という言葉にシンパシーを持つ日本人は多くいます。コミュニズムという言葉を、明治の日本人が、共産主義と訳してしまった結果が、いまの世界の姿を生みました。マルクスという人間が、ユダヤ教のラビの家族に生まれた人格破綻者で、彼が資本論を記す期間の生活費を含め、どんな人間グループの支援があったのかを明治の日本人は知らなかったのです。世界の金融資本家の代表的地位にいたロスチャイルド家にとって、自分たちの世界覇権を阻害する最大の勢力は、ロシアのロマノフ王朝でした。そのロシアの王朝のパワーを失わせるために、明治の日本に戦費を貸し付けて、戦うように仕向けたというのが、正しい歴史の読み方です。これがわかると、人間の理想を追求したかのような思想というものの背後にあるのは、マネーのパワーを利用する方法を知っている人間の巨大な悪意だということが理解できます。日本の神や神々というものは、日本人のたましいの原型とでもいうべき存在ですから、そうした巨大な悪意というものを正しく知らなかったのです。それが、明治以降のこの日本列島の不幸のもとにあります。世界は、邪悪なのだということを知らないものに、邪悪と戦う資格はありません。

イデオロギーとは何だったのか。(再掲)

日本の神や神々が、明治政府を見限ったのは、朝鮮半島の国家を併合した時でした。白村江の敗北以来、この日本列島にある国家は、原則、鎖国なのです。なぜ、そうなのかは、日本列島は、地球の神々のデータバンクとしても機能していたからです。つまり神々は、大陸由来であったとしても、自分たちのデータを保存する場として、列島上に座を得たのであり、それが、改めて世界に帰るのは、その日、その時の後であることを知っていたから、といっておきます。この朝鮮併合後の大日本帝国において、大本教の出口王仁三郎は、それでも、日本の運命を切りひらこうとして、大陸の宗教者のグループと手を結ぶ道を探りました。その相手とは、自分たちのフーチーと呼ばれる未来予知の技法を使って、関東大震災を予知し、震災の前に日本に向けて救援物質を送り出していたと伝えられる紅卍会というグループでした。あの時代、日本人は大陸の善良な人々と手を結んで、大東亜に平和な地域を生み出せると信じていたのです。出口王仁三郎は、この世界を救う神格を日本のスサノヲ神と信じましたが、そこには、理由があり、暴力的な世界をひとまず平定したとされる天の神格がスサノヲだったからです。しかし、このナイーブな善意の前に大きな悪意が立ちはだかりました。それがイデオロギーです。

日本神界の用意とは何だったのか。(再掲)

私に知らされている日本の仕組みというものは、約千四百年前に、聖書の神が日本列島に置いたものです。それを受け入れた神々は、そのリスクも知っていて、その用意もしました。それは、たとえば、新興宗教と呼ばれるものです。明治維新の前に、西欧文明と共に入ってくるガイコクの悪魔に対するある種のバリアとして、天理教や大本教などの新興宗教と呼ばれるものを用意して、神界のデータをおふでさき、などの方法で人間界に伝達しました。その最後のはたらきともいえるのが、日本の敗戦間近にはじまった、岡本天明に降りたヒツクノカミの文書です。そのスタイルを真似て、一神教の暗黒面が、この世に出したのがヒミツツタエフミだという情報が、精神学協会には伝えられています。ある時まで、日本の神々または魔界のものまで、自分たちで、西洋の悪魔と戦うべく作戦をつくってはいたらしい、のです。ところが、それらの企ては、ことごとく失敗しました。なぜ、第二次大戦に突入して、敗北したのかを調べてみれば、その背後にあったのは、神や神々も知らなかった、共産主義という人間由来のイデオロギーでした。その正体を知るために、この二十一世紀までかかってしまったのです。

日本列島に地球の神界が残った理由。(再掲)

今回は地球上における精神的な場についての情報です。私に知らされている、もともとのこの世は、神界、霊界、魔界という三界が相互乗り入れをしていたというのが、紀元前までの姿のようです。それがイエスの十字架事件以後、神界のものは地上では魔界のものに勝てないことがはっきりしたので、この問題を解決するために、世界中の神々は、日本列島に集結して、やがて来るべき最後の時の用意をはじめました。私の知るところでは、それが約千四百年前のことです。それと同時に、日本列島においては、霊界というものを、別の領域に移すために、仏教というものを利用しました。仏教というものは、ユーラシア大陸を経由して日本に来ましたが、その過程で、キリスト教的なものも吸収していたのです。その結果として、日本列島上の人間界では、明治維新によって、一神教の悪魔が入ってくるまで、魔界のエネルギーを使うノウハウが、大陸由来の陰陽道や仏教系の山岳宗教の各宗派などに蓄積されていったのです。ただ、その仏教と共に仏魔と呼ばれる大陸由来の魔界の存在も日本に入ってきて、それに取りつかれたものが天皇や上皇などにも出たのも事実です。そんな仏魔よりも強烈だったのが、明治維新後に出会った一神教由来の悪魔でした。

日本語を神界語にした意味。(再掲)

この地球上において、神々が人間と共存していた時代がありました。その頃の神の言葉、神界語は古語であるやまと言葉でした。そのオトダマ、コトダマでは、現行人類の脳内においては言語化はおろか、イメージも充分に再現できないものとなっていました。その問題を解決するために生まれたのが「最終知識」という書なのです。そこには、多くのやまと歌のメッセージが記されています。そのやまと歌を、現代の多くの読者は、ほとんど理解できません。しかし、全体の文脈と、そのやまと歌をつき合わせていくと、何となくではあっても、意味というかメッセージがつかめるようになっていきます。精神界という場は、エネルギーの場なので、文字はありません。そこで言葉は、聖書の言葉通りに、はじめにあるものなのです。そこから、イメージが生まれ、現実の事象が生じていくのです。別ないい方をすると言葉がなければ、物質も生まれなかったのかもしれません。そのプロセスを読者が追体験できると、その読者の脳内に、神界語を受け取るセンサーが形成されるのです。過去の真実につながる能力がなければ、人間の歴史の責任は問えません。過去に存在したものたちも、人間の未来には責任があるのです。生きている人間の能力を高めるのと同時に、精神界の存在も現代日本語を使う能力を手に入れていきました。その用意があって、このシンロジアがあるのです。

日本語脳が創造性を持つためには。(再掲)

この宇宙にある言葉は、過去にも未来にもつながるデータ系だと考えてみてください。その視点でいまの地球を見ると、母国語で、科学技術の先端的な知識を学べるのは、欧米といわれる諸国のほかに、日本という国があるくらいです。近年になって、その英語圏における科学技術の進展が頭打ちになっているのは、英語でコンタクトできるデータ系が、この先の時空につながっていない可能性があるともいえるのです。つまり、英語は上ではなく、横と下というところにつながるものというのが、精神学的立場での理解です。いまあるコンピュータの人工知能というものができたとしても、英語脳型の論理回路になるために、人間社会への理解も、たぶん、支配と被支配を出発点において正当化していると推測できます。この発想がある限り、上の方にある意識の階層にはコンタクトできないのです。精神学の立場でいうなら、天才の発見や発明というものは、インスピレーションという言葉で表現するより、上の階層への知の扉が開いた瞬間に降りてくるものなのです。そこにアクセスするために必要なのが、日本語で論理的、私のいい方でいうと、シンロジカルに考える、さらにいうと、考え続ける習慣ということになります。

英語の時代が終った先にあるもの。(再掲)

いまの世界の科学技術の分野で、一周遅れのランナーである日本は、コンピュータにまかせておけばいい分野を、子供たちに教育しようという、無駄を止めることができません。日本がアメリカに敗北して、日本がアメリカの技術をもとに、新しい技術分野で主導権を持ちそうになると、アメリカその他の国々がその芽をつむということがくり返されてきました。そのために使われたのが、半島の国家や大陸の国家がつくり出した偽の歴史です。これらの経験から、日本は、アメリカの文化的属州となり、経済的には大国化した共産中国の下請けとなる道を選んできました。いま日本の学校で、英語が教育されていますが、このまま行くと、ある日、中国語も学ばせようと、いい出すものたちが出てきます。歴史を考えてみると、菅公という日本では神社に祀られている人物も、その時代の大陸との関係、いまでいう、チャイナ利権を有していた人間グループに追われて、たたり神となったことがわかります。これからの日本には菅公のようなたたり神が、出る必要があるのでしょう。日本という国のまつりごとをする人間に、そこまでの覚悟をさせる知恵の教育がこれから必要です。神や神々の関与が、敗戦後の今日までなかったからといって、それが永遠に続くとは考えるべきではないのです。