シンロジーについて

シンロジーという言葉は、精神学を英訳する過程で、私をつかさどる存在から、直接、指示されて生まれたものです。
「最終知識」と名づけされた書には、こうした指示があって、「精神学」という言葉もはじめて世に出たことが記されています。また、「最終知識」には、それが聖書の次の書であることがはっきりと示されています。
これらのことを、人間の世に開示するための勇気を持つために、私は多くの試練を経験させられ、そこで蓄積された知の体系から、次の世代が出発できるようなはたらきをしてきたということです。
その次の世代とは、聖書というこの地球の歴史をつくってきた人類全体のテーマを克服していく役割を担う、新しいタイプの人間なのです。
このシンロジーという言葉を使った、シンロジカル・ボディ・メソッドは、こうした新しいタイプの人間に精神と肉体の間に存在する法則性をお伝えするものです。この知は、行き詰まったかのように見える人間の文明の出口をさし示す光となるはずです。
こうした、私の意識上、または、脳内に伝えられたある種のデータが精神界からのものであることを理解していただくためには、写真家の増浦行仁という人物の仕事を、シンロジカルな意味で説明した方が、簡単であるとの指示があるので、今回は、それにしたがうことにします。
その写真家と私との関係は、「俺は土門拳になる」というタイトルの本をはじめ、写真集の「ジェネシス」のために寄せた私の文章(セキギャラリーのweb上にもあります)にある通りですが、それらには、私と精神界との情報交流については、ほとんど、記述されていません。「最終知識」には、私とイエスとのコンタクトが記されています。写真家が、ミケランジェロの撮影をしたいと私に申し出たときに、実は、人間世界にはたらきかける企画書をつくる前の段階で、私はイエスにその情報を伝えたのでした。
この時、イエスから「扉をあける」という言葉があり、すべては、そこからはじまったのです。
そして、撮影に行き詰まり、プロジェクトの終了を考えはじめていた写真家は、2001年2月16日、ローマのサンタマリア・ソプラ・ミネルバ教会で、十字架をかかえたミケランジェロ作のイエス・キリスト像で光の奇跡に出会います。
この奇跡のような出来事は、撮影後も起き、その写真家を精神的にも社会的にも支え続けたのです。その代表ともいえるのが、2003年4月1日から25日まで、東京都写真美術館において開催された「ジェネシス」展に、皇后である美智子様が行啓されたことでしょう。もし、皇后様がこの奇跡の写真展をご覧になりたいと強く希望されなければ、その後の写真家の運命は大きく変わっていたはずです。人間世界の情報では、皇后様はキリスト教教育を受けてお育ちになった方ですが、精神界においては、いまの日本で、最良の「うたよみ」といういい方で、私には、その精神性の高さが伝えられています。
ここに実は、「最終知識」がテーマにしている、日本の神道と、キリスト教精神の接点が、世俗的にも示されているのです。
そこにイエスが、はたらきかけた事実があることを知っているのは、少なくとも私ひとりではありません。
精神学というものが、科学と同様に、法則性と再現性に根拠を置き、私がお伝えすることのほとんども、複数の証言者がいることを前提としています。
そして、2009年から2010年にかけて、私がこの世の側に開示することになったシンロジカル・ボディ・メソッドにおいても、イエスの参加があったことを知った人間はさらに増加しました。
その意味で、シンロジカル・ボディ・メソッド略してS・B・Mというものは、最初期のイエスとその教団において実践されていた奇跡のようなことを起こす祈りのノウハウが、2000年という空白の時間を置いたのちに、完成されたかたちで、提示されたものということができるのです。
S・B・Mを学べば、イエスに学んだキリスト者たちには、オイルを聖別し、聖油をつくる能力があったことを認めざるを得なくなります。
すると、2000年前の地中海社会で、どちらかというと今日の科学的態度に近い合理主義的なピタゴラス派の医療者を、奇跡を起こすという不可思議な信仰者集団であった初期キリスト教徒が世俗の支持という面で圧倒していった歴史の真実の姿が見えてくるのです。
シンロジーとは、このような、これまで誰も知らなかった精神領域のデータを人知の側に移行する役割をはたすものなのです。

2011年1月7日 積哲夫記